5)反論できると思ったときのハゲタカのような眼光と語気の強さ。

 例えば「中国服」の件。

 「私は柔道をやっていましたので、筋肉が邪魔になり…」。だから高額な中国服が必要だという。何とも珍妙な説明だが、どうやら本人は批判をチャンスにとばかりに、自己アピールを試みている気配が。少しでも失点を挽回しようと、ギラリと眼を光らせ、語気を強める。

 この瞬間、「この期に及んで何を言ってるんだ?」的怒りが人々の中に充満する。

 いや、これだけ珍妙な答えはさすがに不自然なので、もしやこの先に逆転の一手でも隠し持っているのか、などと思って続きを待つ。そこで「だったら袖なしを着れば?」と問われると、反論は「気温が下がったら?」。…幼稚なレベルに議論が落ちていく。

 これほど悪いタイミングでちょっと得意げに柔道を語る姿は何とも、見ている側をイラつかせる。

うっかり屋さん

6)そして矛盾がとっ散らかる。

 得意げに、柔道をやっていたので肩の筋肉が、といいながら、以前には、神妙に、股関節の病気のリハビリを、との発言がある。場当たり的対応のモデルケースか。大阪的に言うと、強いのか弱いのかどっちやねん、ということだ。

 つまり、大きい意味でのイメージ戦略とか、極力足元をすくわれるようなウソはつかないで生きるとか、政治家なら特に求められる条件が欠落しているように思えてならない。

7)「詐欺師」か?

 批判コメントで「もう詐欺師ですね」という指摘を聞いた。が、それには違和感がある。

 詐欺が成り立っていない。誰も騙せていない。

 知事になった時は、事はうまく運んだが、疑惑が噴出して以降は誰も騙せていない。それどころかどんどん怒らせていっている。詐欺師ならもっとうまかろう。

 少なくとも自分が過去どういう発言をしたかにつじつまを合わせようとするはずだ。多摩発言にせよ過去の発言のことは彼の頭から消えているのか。詐欺師なら、こういう初歩的ミスを犯すだろうか。彼は詐欺師ではない。“うっかり屋さん”なのだ。

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