3)糾弾や批判の言葉を、助言の言葉として受け流す。

 厳しい批判を受けるたびに「ありがとうございます」と目を大きく見開き、いま気づいたとばかりに“助言”として受け入れる。

 相手の批判をいったん受容することで、矛先を曖昧模糊とさせ、批判すればするほど感謝されるという、おかしな状況に相手を巻き込む。

 当人はうまい手を打っているつもりだったかもしれないが、しかし、どこにも出口はない。その不毛さにイライラが募る。

何とも脇が甘い

4)つじつまが合わなくなる。

 多摩地区で「東京23区だけが東京じゃないっ!」とマイクを握った演説の後に「湯河原は多摩より近い」発言がある。あるいは、待機児童対策、子育て支援は重要課題と言いながら当選したのに、関連の審議会には出席せず、保育園の視察は一度もせずと聞く。

 何という脇の甘さだろう。「不適切な支出は返す。仕事の内容を評価してくれ」とはよく言ったものだ。

 「緊急かつ重大な会議」についても、何とも脇が甘い。「緊急」は緊急そうに、「重大」は重大そうに、いちいち「き!んきゅうで、じゅ!うだいな」とフォルテシモで彼は発音した。それほど断言した重要な会議なのに、記憶は曖昧で、出席者は「事務所関係者ら」から「出版社社長へ」とそのメンバーも変わる。違うじゃないかとツッコめばまた「出版社社長も大枠の意味では関係者になる」。

 その場その場を言い逃れでやり過ごす法則を身につけてしまったタイプの人がついやってしまいがちなことで、取り繕うために何かを言えば、その何かでまた過去の言い逃れがばれていく。過去の発言のあちこちに自らが地雷を埋め、次の保身でその地雷を踏み、いつもどこかの人を怒らせてしまう。

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