ニーズがあるのだから、そういうキャラクターに自らを当てはめて愛人キャラを演じる女性タレントもいるし、愛くるしさを極めて商品化するのがアイドルだ。元アイドルの不倫を徹底して許さない社会の底には、そんな聖女幻想がちらつく。聖女など女性タレントのカテゴライズにすぎないのに。
が、聖女がいると本気で信じる男性にとっては、単なるタレント商品の1カテゴリーにすぎないアイドルの笑顔を真に受けてしまう。アイドルもそれは職業だから、どの写真も微笑むし、より美しい写真を公開し、握手もしよう。リピーターには一声かけもしよう。
私はアイドル枠ではないが、やっていることは同様だ。微笑み、声をかけ、より好かれるためのひと工夫をする。相手が望むキャラクターになる。だって、それが仕事だから。
それが、タレント、だ。
プロとして
楽しみたい人たちがいて、楽しませるプロがいる。娯楽的約束事の下、芸能界は日々稼働している。
女性たちが生存戦略として浮かべる「作り笑顔」は、キャリアウーマンだって身体化している。受付嬢も。キャビンアテンダントも。新幹線の車掌も。売り子も。政治家も。
だが、それが作られたものだと知った時、裏切られたと感じる男性がいる。そしてよくも裏切ったなと憎悪をたぎらせる。近松浄瑠璃なら、のぼせあがった若旦那に遊女が「こっちは商売さ。本気になりやがって」と地を出す見せ場もあろうが、現代のタレントはそうもいかない。舞台なら「厄介な客がつきやがったなぁ」と遊郭の番頭がつぶやくあたりで、プロダクションの出番だ。
芸能プロダクションのスタッフたちは、タレントがファンたちにかける魔法のようなものが、多くの良識あるファンの方々との関係を良好にする一方で、ほんのわずかながら厄介な問題を生じさせることを職業上、心得ている。実際「厄介な客」は多くのタレントに男女問わずついている。