今でも、私がメディアで反発をくらうキーワードとして“平等”や“差別だ”的表現がある。口にすると、カチンときて反感を持つ人が少なくない。これは感情だからカチンとイラッとくるのは仕方がない。メッセージは届いてナンボだから、それらの単語を封印し、「おかしくね?」とか、「腹立つ」という言葉に置き換えている。

 同様に、男女平等法が通らず、共同参画だの均等だの、“平等”だけは避けた名前で法案が通ったように、“平等”の持つある種の圧は嫌われているらしい。違う言葉を使うことで、なんとなく平等を目指す。そして、強制力と徹底を欠く、ということから、法案成立への抵抗の強さもわかる。
 与党が「できる限り均等」と言い、野党は「できる限り同数」と言った。

 “均等”みたいな曖昧な表現ではなく、“同数”のほうが具体的だが、いずれにせよ罰則規定のない法律だ。気運でどれほど改革できるものだろうか。

 法律とは、強制力があってナンボだと私は思っている。

 強制力のない法律はスローガンだ。運動家を過小評価するつもりはないが「環境を壊すなー」「女性活躍だー」に似て、叫ぶことに終始してほしくない。

声を上げだしたから、法律が生まれる

 「セクハラ罪ないしな」と言った大臣がいる。面白い。

 どんな罪も、法律ができるまでは罪として成立させにくい。法律ができるまでは、現実の被害がまずあり、法律が現実被害の救済策として生まれてくる。法律は常に現実の後追いで誕生することを知っていれば、「セクハラ罪はない」という言葉は「まだ法律ができてないから罪に問われることはない」と訳せる。

 だが思い起こせば、ちょっと前までDV防止法もなかったし、ストーカー規制法もなかった。どちらも被害が優先し、後追いで法律が生まれた。DV防止法では「警察は、加害者に対し、逮捕や指導、警告といった措置がとれる」し、ストーカー規制法では「罰則は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金」がある。

 どちらにも罰則規定や強制力がある。
 大事なのは、これら法案はちょっと前まで存在せず、その間、被害者はずっと泣き寝入りだったということ。

 セクハラも同様、ようやく被害者たちが声を上げだした“時代”に我々がいる。

 その時代の文脈から読み解くと「セクハラ罪ないしな」という言葉は、「だからやるなら今だ!」という解釈も可能だ。