私は、人は心にない言葉は口から出ない、と考えているから、詫びる前の発言のほうが本音なのだと判断する。

 「一応調査やってます」とか「そんなに苦痛なんですかね」とか「週刊誌に渡すなど犯罪だ」とか「今のミートゥー運動の女性たちにはセクハラしませんから」とか「この一個で彼の業績を全否定できない」みたいなのとか。そして「言葉だろ?」とか(笑)。
 次から出るわ出るわ、男性達の本音が。

 こういう人達が相手なのだ、と、闘うと決めた女性はあらかじめ理解をしておかねばならない。

 だから、女性記者は名前を伏せて大正解なのだ。出さずともこれだけ叩かれる。

 私が失笑するのは、「ハニートラップだ」というベテラン男性タレントの横に、若くてきれいな女性アナウンサーが座っている図だ。「横にこのオンナを置いておきますから、ひとつ機嫌よく番組やってください」的な仕掛け(局の忖度)に自分がすでに引っかかって、機嫌よく喋れていることへの自覚のなさ、だ。

 また、事務次官を責めながらも同じ口で、「でも街の声では、嫌なら行かなけりゃいいのにってのも僕は聞くんですよね」というやり口。

 これは、一応世間の怒りに同調しつつも、“街の声”として自分の意見を乗せて伝える手法だ。共感せねば引用もすまい。こういうのを卑劣という。そして私はこの文化人男性タレントが他の番組でCMの時に隣りのおネーちゃんの太ももを触っているのを、そのおネーちゃんからのセクハラ相談としてもこの耳で聞いている。

 二重に三重に卑劣だ。
 だが、彼自身もその自覚はないだろうから、もしおネーちゃんがそのセクハラを訴え出たらやはり烈火のごとく怒りだすことだろう。

 自覚がないから、あまりにもフツーで日常だから、そこを突然糾弾されると、因縁や難癖をつけられたとばかりに怒りの感情が爆発する。証拠など出されたら、「はめられた!」となり、太ももを触ったことなど、「全体を見たらセクハラじゃないってわかるから」といった支離滅裂な文脈を口走りたくもなろう。