「自分が映ったじゃないか」系、「取材に協力したのに思ったように映っていないじゃないか」系、「まんまカットされたじゃないか」系、「ああいう編集とは聞いてなかった」系。
プロデューサーたちは、脚光を浴びてしまった素人さんの舞い上がった後の、想定外の着地への怒りの対応に苦心していた。
取材には快く協力してくれるのだ。だが、取材を受けた側のイメージ通りに番組が仕上がるわけではない。
全部カットもさることながら、親戚からの感想、知人からの感想に、いちいち傷つく被写体としての素人さんがおり、「脚光を浴びるということはこういう現実が待ち受けるのか」という、我々タレントが、なって初めて知る、やがてあきらめる、脚光の残虐性、というものに素人さんが耐えきれるはずもない。
そのクレームに、ひとつひとつ対応しているのが、実は、番組責任者で"怒られ役"のプロデューサーたちだ。
リスクしかない
たかが、バラエティ番組の数十秒に素人さんが映るだけで、この衝撃と鎮静という後始末の仕事がある。脚光を舐めてはいけない。脚光を浴びている間は、人の目が快楽や権力やらを獲得したように錯覚をさせもしよう。だが、現実は違う。
ユーミンがそこに「何もない」と言ったが、私程度で申し上げるなら、脚光を浴びたそこには「リスクしかない」と伝えたい。
素人さんなら耐えがたい想定外のリスク。そして、籠池氏にこの先、待ち受けるであろうリスク。
怒号渦巻く国会の中心人物としてメディアで総理と対立軸に位置づけられたこと。これは、うっかり微笑んでしまうほど、"快楽"だったと、私は睨んでいる。
「売れるって、それほど値打ちがあることだろうか」と、プロデューサーに問いかけた。
彼は言った。
「せっかくこの職業についたのだから、一度くらい、一瞬でも売れてみては?」
他のプロデューサーは「いや。一度では落ちぶれた感が出る。売れるならずっとだ」と言った。