だが、つい先日まで総理の妻の知人であるというだけで喜んでいた一般人が、全国注視の中、脚光を浴びるとなれば、普通ではいられない。
完全に、舞い上がっている。
私がそう感じた一瞬が、籠池氏のニヤリにあった。深刻な未来が見えていてもなお、その場に酔わされる快楽、というのが"脚光"というものの真の恐ろしさだと私は思う。
真実とか善悪や是非は置いといて、そこにあった"ニヤリ"に、私は胸を痛めた。
脚光を求め、うごめく世界で
そう感じるのには、その脚光とやらを問い続けてきた私自身の芸能界の見え方にある。
脚光を求めて、自ら炎上するタレントもいれば、次々とプライベートな話題を提供する人もいる。自らの邸宅を披露したり、ガチで喧嘩してみせたり。
「そうまでしてテレビに出たいか」と、そういうシーンを冷ややかに見ている人もいるだろう。
最近、芸能界はいかがわしくなっている。詐欺まがいの番組が散在する。「あの時の真実を語る!」と2時間引っ張って、最後まで絶対、語らないとか。
なんだ、やっぱ語れないんじゃん、と、騙された2時間を返せと言いたくなる。他方でそれは、やっぱり語らせない何か怖いものがある、と、芸能界の闇を逆に映し出していたりするのだが。