私はこのメールに感動を覚えた。

 まず、突き抜けて、純粋だ。私はどの企業を落ちても「フンッ」だった。それほど努力をせず受けた分、モチベーションも高くなかったし、本当に入りたいかどうかの選択眼にも自信がなかった。どっか入ればそれでいいや、と思っていたから、どこも入れなかったのだろうし、その分、落ちたところでシラケただけだった。

 私は人生や社会を舐めていた。だがこの娘さんは違う。「死ぬまで見ない」と断言する。彼女なりに努力をしてきたからこそ、強い反発心にもなる。周りへの感謝が強いほどに自分への叱責も強くなり、泣くしかない、というところに正義感や若い感性を感じた。

 嘆きのメールに見える正直さと健全さに私は感動した。

 返事をせずにはいられなかった。私が伝えたこと。

背負わず、素の自分で

 自分の就職のために尽力してくれた人や助言をくれた人に感謝するのはいい。ただし、それ以上に自分に負荷をかける必要はないこと。

 そして、いろいろな助言をもらったというが、もしや、あれこれ策を弄するようなことになっていなかっただろうか。策を弄すれば、策を弄している姿が相手に届く。本来の自分で勝負したらどうか。それに足る健全性があなたにはある。と。

 1社から否定されて、なぜそれが泣くほどの自己否定に繋がるのか。昨日今日会ったばかりの人に、自分が理解されると思っているのか。10社受けて9社落ちても自己否定する必要はない。1社が肯定してくれたらそこがあなたの居場所だ。策を弄したあなたではなく、本来の自分を正直に出して、それを是としてくれる会社が、自分の居場所だ。面接試験というのは自分が問われるばかりではない。どういう若者を選ぶのか、企業も問われる。

 面接官の目は絶対的なものではなく、面接官も失敗する。受験者の策にまんまと引っかかる面接官もいれば、策を見抜く人もいる。

 実際、2000人受けて、この人?という新入社員の姿がめずらしくないのがテレビ局の光景だ。そういう新人はすぐ別の場所に飛ばされる。面接を策を弄して通っても、現実はシビアだ。