ご相談
この4月から部長職に就きます。前任者からの引き継ぎ、関係者との打ち合わせなどを始めましたが、見事なほどに周囲は男性ばかり。分かっていたこととはいえ、実際に自分が前面に立つと改めて「まだまだ男性社会」を実感します。「任された責任を感じつつ、自分らしさも失わず」……と決まり文句で挨拶しつつ、さて、自分らしさとは何だろうと改めて考える春です。(40代女性)
遙から
「社長になるか、社長夫人になるか、それが問題だ」
斎藤美奈子著『モダンガール論』の「女の出世」に関する一節である。
どちらを選ぶかによって磨くべきスキルが違う。そこに費やすであろう歳月を考慮すれば、スタート地点での選択は女性の未来をそのスタートの段階で振り分けかねない。
そして、第三の選択肢もある。“出世女子”だ。
総理でもなく、総理夫人でもなく
その象徴が稲田朋美防衛相だと私は見ている。社長でもない。つまり総理ではない。また、社長夫人でもない。つまり昭恵夫人でもない。第三のポジション。それは、社長に大事にされる幹部職、だ。その地位が目標だったならまさに大出世。万歳でその人生を祝いたい。
だが、「南スーダン日報問題」や「森友問題」などの国会答弁以降の世論を見ていると、稲田防衛相への風当たりは強い。“泣いた”とか、“虚偽です”の言いきりから“記憶にありませんでした”への変更とか、苦戦に映るニュースが次々と流される。
出世女子の力が試される光景だ。
その対極に位置するのが小池百合子東京都知事だ。総理をはじめとする権力中枢の男性たちからの“愛され女子”の地位を自ら捨てた。“憎まれ女子”にあえて位置することで政治不信の都民の力を得た。やがて、それを無視できない権力構図にまで持ち込んだ。あっぱれだ。いわゆる“叩き上げ女子”の出世の方程式だ。
あくまで最初は、笑顔の素敵なニュースのお姉さんという“愛され女子”からのスタートだったことを忘れてはいけない。いつのまにか、“憎まれ女子”で都民を魅了する権力者として出世した。彼女のノウハウは“変遷”そのものにある。
そこで今、稲田防衛相に問われるのは、小池都知事をロールモデルとして参考にするならば、いかに変遷するか、にある。泣くことといい、違うと思ったことをすぐ違うと声に出して言ってしまうことといい、私はお会いしたことはないがおそらく“いい人”なんだと思う。
世論はその“いい人”ぶりが気に入らないのではないか。国の防衛という重責を担うにあたり、そこを頼りなく感じているのではないか。ここはひとつ、“おぬしやるな”的な“悪い人”をしっかり演じなければならない、と勝手に思っている。
うっかりさんでは困るのだ
国家の安全を背負って自衛隊を指揮する立場なわけだから、失言するような“うっかりさん”だと困るのだ。と、そう世間は思っている。
この緊迫した時代においてなぜこの女性でなければならないのか、に、苛立っている人がいる。
そもそも稲田氏がなぜ防衛相にまで登りつめたかには、いわゆる「女性活躍」への総理の期待やアピールの意味合いがあるだろう。
そしてそれはこれまでなら、“少子化大臣は女性にまかせるのがよろしい”といったみんな安心的レールが敷かれていたが、今回は、“戦う=男性”という役割意識を揺さぶる点が異なる。
100%男性領域、と、皆が信じてやまない領域を女性にまかせる。そこには、何より性別を超えた”強さ”が求められる。抜擢するにあたっては、彼女がそれに足ると考えたのだろう。
・・・というのが理屈だが、現状を見るに、お前、弁護士だし、いい奴だから、頑張れよ的な、愛され人事の匂いを私は嗅いでいる。
といって、その愛され人事についてねちねち攻めるつもりはない。問いたいのは、稲田さん、いつまで“愛され”キャラでいきますか?ということだ。
いつか、“おぬしやるな”的、“憎まれ”キャラに脱却せねばならない時がくる。
いつ、どうやって、その時を迎えますか? が、稲田氏に問われている。
いつまでも愛されキャラではなく、メガネも網タイツもかなぐり捨てて、育ててもらった男性たちを真っ向から敵にまわす腹のくくりが必要だ。
冷徹で行こう
それがいつか、の前に、足元をすくわれてもよくない。まず、泣いちゃだめだ。
失言もダメだ。あくまでクールに、鉄の女として、ひとつひとつの批判に向き合わねばならない。
男性も女性も、出世の前には時の権力者に愛される、あるいは、あなどられないからその地位につける。愛されてその地位を確保する。それはそれでよいとして、愛されていることを、追及する側の野党や、眺めている我々側にわざわざ伝える必要もない。冷徹な女、でいいのだ。まずはそこからスタートではないか。
防衛相を小池百合子氏も一時期担当した時が、過去あった。ソツなくこなしたイメージが残っている。そこで、実は私はこういう性格で・・・なんていうことを伝える意味はない。小池氏の手腕を見ていると、いつ世論がブチ切れるのか、あるいは今の賛同を維持するのか、ギリギリのところにいる。
決して、小池知事安泰、という時代ではない。「実は豊洲市場への移転には致命的な問題はなかったのに、真相解明と唱えながら無駄な時間と出費を重ねた」という追及にさらされかねない地雷の中で、説得材料のためにいくつもの専門部会を設置している。世論を説得するには事実しかない、という方程式を小池知事は一歩も譲らない。もはやそこに女だとか男だとかは関係ない。追及と批判が来ることを前提に小池氏は生きている。これでやっと、男女共同参画時代の女性活躍だと、その壮絶な戦いを目の当たりにしながら、いいロールモデルができたものだと眺めている。
そして、そのスタート地点に立たされているのが、稲田防衛相だ。
女子の出世など、総じて乱暴な言い方をすれば、もれなく“泣く”ところから始まると言ってもいい。
そうやってひとつひとつ、成長をしていくのだと思う。
それは泣くほどの地位を手に入れた、ということでもあり、どうこなしますか、という次の道への試験でもある。かの田中真紀子氏も泣いたのを覚えていますか?
嫌われる覚悟
女性の出世とは、男性の聖域と言われる場所への進出のことだと思う。
つまり、そこに進出するだけで感情的な暴風雨にさらされる。私が「日経ビジネス」にコラムを書かせていただくことになった20年近く前もそうだった。
日経ビジネスもまた、経済誌である以上、経営人、会長や社長という人々にとっての聖域だった時代がある。そこに登場した私への風当たりの強さは今でも忘れない。
私がそこで最初に捨てたものは、男性読者から“愛される”ことだ。
“憎まれる”原稿を書く。それを面白がってくださる読者こそが私の読者で、怒るばかりの読者は勝手に怒っていればいい、と、腹をくくった。
そうこうしているうちに、時代が女性読者をも増やし、オンラインに場を移すことで、さらに幅広い世代の方々にお読みいただくに至ったわけだが、最初は憎まれ、嫌われることから始まった、ということを伝えたい。
女性総理はまだ実現するには時代が成熟していない。が、女性の幹部職は実現している。
時代は変わる。“愛され出世”を願う女子は、まず、今の時代は男性権力者に愛され、まずは出世し、次は、あらゆる男性たちから嫌われる手のひら返しが必要だ。
嫌われる覚悟。そして、そのあなどれなさを見た時に、世間というのはまた手のひらを返したようにあなたを認めるだろう。小池氏のそれのように。
“愛され出世”した女子は、小池氏と稲田氏の両者の答弁をよく観察していただきたい。
そこにある差。そこにある反響。それらすべてが、これからの出世女子たちのヒントになるに違いない。
正しい嫌われ方とは
注意してほしいのは、ただ嫌われて孤立している男女平等主義者の女性キャリアもいる。
これとは全く違う。最初から皆に嫌われているようでは、出世などできようはずもない。
愛されることなど、ほんのスタートダッシュのためのエネルギーだと理解してほしい。
愛され続けて60歳、というキャリア女性もいるが、これも違う。
ぶりっ子を続ける60代女性も、私はとても残念でならない。変遷をしそこなった出世女子だ。愛されて、出世したら次は、嫌われる。嫌われてもなお、引きずり降ろせない足腰の強さを身につけるのだ。それまでため込んだ実力が試される、その時のために。
小池氏の実力は豊洲問題で試されている。
同様、森友学園問題、自衛隊問題など、その答弁において稲田防衛相も試されている。
男性の聖域に入り込む、ということは、感情的な嵐の中で、いかに自分を防衛できるかにかかっている。まず防衛し、そして、攻撃する。
そう。
出世女子とは、それ自体が、防衛相なのだ。
どの職域であれ、自己を防衛し、同時に、未来への根拠を積む。そこに女も男もない。事実のみが、あらゆる批判に反論できる武器であり、うわべばかりの愛されキャラに固執するばかりでは、やがて反発を買いこそすれ、永遠の武器になどならないことを知ってほしい。
つい、使い続けた武器は、手放すには惜しいのはわかる。まだ使えるやん!という時もあるだろう。だが、使っちゃいけない。今、その波間で揺れているのが今の稲田防衛相のあり様だ。よーく観察してほしい。稲田防衛相の出世女子としての成功を願いたい。