“愛され出世”した女子は、小池氏と稲田氏の両者の答弁をよく観察していただきたい。
そこにある差。そこにある反響。それらすべてが、これからの出世女子たちのヒントになるに違いない。
正しい嫌われ方とは
注意してほしいのは、ただ嫌われて孤立している男女平等主義者の女性キャリアもいる。
これとは全く違う。最初から皆に嫌われているようでは、出世などできようはずもない。
愛されることなど、ほんのスタートダッシュのためのエネルギーだと理解してほしい。
愛され続けて60歳、というキャリア女性もいるが、これも違う。
ぶりっ子を続ける60代女性も、私はとても残念でならない。変遷をしそこなった出世女子だ。愛されて、出世したら次は、嫌われる。嫌われてもなお、引きずり降ろせない足腰の強さを身につけるのだ。それまでため込んだ実力が試される、その時のために。
小池氏の実力は豊洲問題で試されている。
同様、森友学園問題、自衛隊問題など、その答弁において稲田防衛相も試されている。
男性の聖域に入り込む、ということは、感情的な嵐の中で、いかに自分を防衛できるかにかかっている。まず防衛し、そして、攻撃する。
そう。
出世女子とは、それ自体が、防衛相なのだ。
どの職域であれ、自己を防衛し、同時に、未来への根拠を積む。そこに女も男もない。事実のみが、あらゆる批判に反論できる武器であり、うわべばかりの愛されキャラに固執するばかりでは、やがて反発を買いこそすれ、永遠の武器になどならないことを知ってほしい。
つい、使い続けた武器は、手放すには惜しいのはわかる。まだ使えるやん!という時もあるだろう。だが、使っちゃいけない。今、その波間で揺れているのが今の稲田防衛相のあり様だ。よーく観察してほしい。稲田防衛相の出世女子としての成功を願いたい。

『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』