世論はその“いい人”ぶりが気に入らないのではないか。国の防衛という重責を担うにあたり、そこを頼りなく感じているのではないか。ここはひとつ、“おぬしやるな”的な“悪い人”をしっかり演じなければならない、と勝手に思っている。
うっかりさんでは困るのだ
国家の安全を背負って自衛隊を指揮する立場なわけだから、失言するような“うっかりさん”だと困るのだ。と、そう世間は思っている。
この緊迫した時代においてなぜこの女性でなければならないのか、に、苛立っている人がいる。
そもそも稲田氏がなぜ防衛相にまで登りつめたかには、いわゆる「女性活躍」への総理の期待やアピールの意味合いがあるだろう。
そしてそれはこれまでなら、“少子化大臣は女性にまかせるのがよろしい”といったみんな安心的レールが敷かれていたが、今回は、“戦う=男性”という役割意識を揺さぶる点が異なる。
100%男性領域、と、皆が信じてやまない領域を女性にまかせる。そこには、何より性別を超えた”強さ”が求められる。抜擢するにあたっては、彼女がそれに足ると考えたのだろう。
・・・というのが理屈だが、現状を見るに、お前、弁護士だし、いい奴だから、頑張れよ的な、愛され人事の匂いを私は嗅いでいる。
といって、その愛され人事についてねちねち攻めるつもりはない。問いたいのは、稲田さん、いつまで“愛され”キャラでいきますか?ということだ。
いつか、“おぬしやるな”的、“憎まれ”キャラに脱却せねばならない時がくる。
いつ、どうやって、その時を迎えますか? が、稲田氏に問われている。