また、少し前に会見した至学館大学長にして日本レスリング協会副会長の谷岡郁子氏も、怒りマックスで登場して、どういう空気の変化をもたらしてくれるのだろうと期待したが、ただ、怒っただけだった。

 「私の怒りは沸点に達しました。もう我慢できない。私は本当に怒っています」

 私は怒っています、と、公共に発信するという行為には、重大で無視できない意味と価値が自分にはあると信じている人がする行為だと思う。

是非は置くとして

 他方、前国税庁長官の佐川宣寿氏。証人喚問での発言で、野党議員から「理不尽だと思わないのか」と問われ、「仕事ですから」と答える姿に、自分の感情など何の意味も価値もないと達観できる熟練の技を見た。そんなことよりも、守りたいもの、守らねばならぬ何かがある。そういった信念を感じる答弁だった。佐川氏の態度の是非論はちょっと横に置いておく。

 佐川氏もまたちょっと前まで組織のリーダーだった。

 彼がもし、「理不尽だと思わないのか」に対し、「僕は本当に怒っています」と発言したなら、私はその幼さに失笑したかもしれない。

 組織で働いてきた男のプロ根性を見た気がした。理財局長の大田充氏も同様、自民党議員の「陥れようとしたのか」に対し、「僕は本当に怒っています」とは言わず、「それはいくらなんでもご容赦ください」という日本語を選んだ。

 どれほど屈辱でも、「怒っています」という言葉ではなく、「ご容赦ください」と言えるプロ根性。

 彼らは、窮した時にとても頑なに低姿勢でウソも本当も見えなくさせる技術を習得している。国会答弁は、記者会見以上の神経の緊張と疲労を伴なうだろうに、それでもそこで見えたものは、彼らは何かのために、なんらかの利益を守るために、徹底して言葉を尽くす姿だった。

 組織で働くということは、まずは自分の感情をいったん棚に上げて、その役割を貫徹することを言うのだな、と、"官僚"という職業を選んだ男たちのプロ意識を見た気がした。もちろん、その是非は置くとして。