4つのパターンに

 権力を持たずとも、他者は共感しない、と感じたのは、伊調馨選手のパワハラ被害報道に対する、テレビのコメンテーターたちの発言だ。パターンを分類してみた。

1、〇〇さんは、嫌がらせをする人じゃない。知っているがとてもいい人だ系発言

2、ちょっと前まで仲よくしていたじゃないか系発言

3、女性はちょっとしたことでも傷つく系発言

4、双方あまりに言い分が違うので判断がつかない系発言

 まず1について。パワハラの場合、加害側は権力側だ。なんらかの能力が評価されて出世しその組織の権力側に位置する。能力が評価されているのだから、「立派な人」や「いい人」の評価は当たり前のことで、どれほど人格者だと周りが謳おうが、それがすなわちパワハラを否定することにはならない。

 2については、そこに力格差があることを思えば、相手が何を望むか、何をすれば機嫌がよくなるかなど、女性はとっくに見抜いている。他者からはじゃれあっている仲良しに見える構図が、その女性にとっては、「偉い人にしかるべき対応をしている」に過ぎないことなんてフツーにある。

 3を、女性ジャーナリストが言うのには驚いた。女性はちょっとしたことで傷つくから、コーチがパワハラのつもりじゃなくても、応援の意味で乱暴な言葉を使用する時などに女性はパワハラだと感じてしまうことがある、らしい。笑ってしまう。ブスだの結婚できねえぞだの、私なんかでも日常にある言葉だ。だが、その程度で内閣府に告発状を出す流れにはならないだろう。

 4はどうか。双方の言分が違うなど、これも当たり前。権力者側はそうではない側の気持ちはわかりにくい。「まったく身に覚えがない」という発言は、自覚を持ちにくいということを鑑みれば当然の反応だ。まったくやっていない、と言っているから、やっていないのでは?という解釈ではなく、パワハラというものは、まったくやっていない、と、本人に思わせるほど日常に転がってそこにあるもの、という解釈が必要だ。本気でまったくやっていないと思っているのかもしれない。