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ご相談
インフルエンザ、花粉症、マスクが手放せない季節が続きます。そのマスクについて、常々おかしな事態だと思っていることがあります。人前で激しく咳き込むような状態なのに、マスクをしない人っていますよね。同僚や取引先にもいて、とても困っています。一緒にいるのはイヤなのですが、仕事の場面ではそう言ってもいられず…。(20代女性)
遙から
新幹線などで移動をしていると、何とも不思議で、見慣れた光景に出合う。
咳をしている人はマスクをしていない。逆に、咳をしていない人がマスクをしている。
派手に咳をする人ほどマスクをしない確率は高くなり(あくまで私の目視経験だが)、マスクをしながら咳き込んでいる人物にはほぼ出会った記憶がない。
かくいう私も咳はしないがマスクをかかさないタイプだ。理由は簡単。うつされたくないから。
マイコプラズマがやって来た
ところが、スポーツジムになると話が違う。ハアハアと呼吸も心拍数も上がる場面で、マスクをしながら運動する人はいない。
ところがだ。派手に咳をする人も健康になりたいのか、スポーツジムに足繁く通う。もう数年間通うスポーツジムで、その人物は年がら年中咳をしているので、最初は結核を疑い距離を置いた。が、何年経っても「このスポーツジムから結核患者が出た」という話を聞くこともなく、じゃあ気管支炎などだろうか、くらいの認識で、咳をいつもしている人物と顔を合わせることも多くなった。
咳を耳にすることに慣れた私がその人物に近づいてトレーニングをした後にそれは起きた。
…翌日から喉が痛み、熱が出て、咳が止まらなくなった。なんと3カ月間だ。
私も年がら年中、咳をする状況になってしまった。「でも結核じゃない。もし結核だったらこんな程度で収まるわけがない」と念じつつ、医師に処方された風邪薬を3カ月飲み続けた。だが治らない。
「結核だけじゃなく、マイコプラズマ、という恐ろしい咳もあるんですよ!」と教えてくれたのは同業者の女性だった。
昔から経験してきた風邪とは異なる肺の違和感…。私は病院でマイコプラズマの検査をし、同時に検査結果を待つまでもなくマイコプラズマ用の抗生物質を処方された。
すると、なんと飲み続けるほどにあれよあれよと肺が晴れ渡っていくのが感じられ、4日目には青空のような爽快な肺になったではないか。
後日、病院に結果報告に行った。医師の回答は意外だった。
「マイコプラズマの検査は陰性でした」
え、陰性? 訝しがる私に先生の説明が続く。
「マイコプラズマというのは単一ではなく、いろんな形に変容して多様な菌になります。マイコプラズマの検査は陰性なのに、マイコプラズマの薬が効いたということは、その兄弟菌による病気になったということ。治ってよかったですね」
ふむ。と、納得した。
その菌、凶暴につき
さて、スポーツジムにそのマイコプラズマ兄弟菌がはびこっている可能性があると、ジムの責任者に言おうかと考えたものの、実際には対処のしようがないことだと思い至った。
この時期、行く先々、人が集まるところ、咳をしていない人はいないからだ。
その中で、誰がインフルエンザで、誰がマイコプラズマで、誰が気管支炎で、誰がフツーの風邪か、など判別しようもない。
外出時にマスクを常用している私が、マスクを外して人と接するのは食事の時などかなり限られる。状況から考えて、うつったのはスポーツジムである可能性が高いと思うが、証明できるものではない。
そこで、せめてもの防衛として、私は苦しさ覚悟で、マスクしながら運動をすることを試みた。
肩で息をする苦しさでマスクを隙間なく着用したらどんなことが起きるか。
酸素が足りないスキューバダイビングといえばいいか。運動しているのか、拷問を受けているのかわからない状態になった。
だが、仕事柄、咳をしながら番組で喋るわけにはいかない。私はマスクを着用して運動を続けた。すると、とんでもない事態が起きた。
少し離れたところで運動していた人が、マスクをしている私を指さし、こう叫んだのだ。
「インフルエンザよ!!」
その瞬間、私の周りから人がいなくなった。中には「ひぇ」と声を上げて私を遠ざける人もおり、その光景は私自身がまるでバイ菌扱いを受けたようだった。
私は慌てて、その人に言った。
「それは誤解です。私は熱もなく、咳も治まった」
「今のインフルエンザの特徴がそれなのよ! 熱が出ないものだから、皆にうつしてまわっているのよ!」
そして誰もしなくなった
まさかそこで、いや私はインフルではなく、もっと恐ろしいマイコプラズマだと告げたらどうなったことか。
それももう完治している。だが、パニックを起こしている群衆の中でそんな事情は届くはずもない。私はその日から“バイ菌”としてトレーニングを受けるはめになった。
そして、思った。
「これじゃあ、誰もマスクしないよね」
私は人前に出る時、あるいは、人の中にいる時に一度も咳をしない。それは飛沫感染でうつることを知っているからで、徹底して咳止めの処置をしてから集団に入る。
そのうえで、うつされたくないからマスクをしているのにもかかわらず、このマスクが「私は病気です」というシグナルとなって人から敬遠される始末だ。
そして、「インフルエンザよ!」の掛け声とともに、他の人たちは、マスクをせずコンコンと咳をしている人のところに集まってトレーニングを始めていた。
無知、ということの恐ろしさを知った瞬間だった。
その後、行きつけのエステサロンに行った。
エステティシャンはマスクをしながら咳をしていた。激しいはじけるような咳は本当の風邪だ。
激しく咳をするなり、「すみません!」と謝りながら、それでも、彼女は“咳止め”というものを服用していない。
私も激しい咳の時期があったが、仕事の時にはしっかり咳止め薬を飲み、咳を押さえた。
だが、自然治癒を過信する健康体は、ずっと咳をしながらもマスクで“いつか治る日”まで過ごそうとする。
ウイルス再訪
病院に行かない人の特徴に、自己免疫力の過信がある。それはひとつの生き方で自由だ。漢方に頼る人もいるように、あくまで自由だ。だがそれと、他人にうつすかどうかは別だ。
もうそろそろ咳も治まりかけてきた時、マスクをするか、しないか。確かな基準はない。
エステティシャンは、健康への自信があるらしく、1週間でマスクを外した。
「もう大丈夫です」と言った。だが私は風邪の咳のしつこさを経験しているので、1週間で咳が完璧に止まるとも思えなかった。ケアを始めてすぐ、コン、コン、2度、エステティシャンは強い咳をした。
「あ。やっぱりマスクしますね」
私は思った。
…もう手遅れだ。今の2回ですごい数の菌がこの狭い部屋に飛沫と共にばらまかれた。私は高い確率でうつるに違いない…。
そして、また、風邪になった。また、喉の痛み→熱→咳、という、おなじみの風邪コースを歩むハメになった。
通してながめると、健康に自信のある人、自己免疫で風邪など治せてきた人、風邪など些細な病気だと思っている人、止まない咳が特別ストレスにならない人、それと、自分がバイ菌扱いされたくない人。そういう人たちが、風邪になっても、どれほど咳が出ても、マイコプラズマ級の咳が出ても、マスクをしない。
そして、私のように体力に自信のないタイプ、病気になったら一日でも早く治したいタイプは、風邪もうつりやすいし、いつもマスクする防御態勢をとる。
それを誤解する人は、私を病人だと思ってしまう。
先日、マスクをしてタクシーに乗るなり運転手から言われた。
「インフルエンザですか?」
「いいえ。なりたくないからしているのです」
エボラ出血熱が、どれほど人の無知から感染爆発したかアフリカの例をニュースで見てきた。だが、日本のこの様子はどうだ。現在も結核で年2000人もの人が亡くなっている。私が知らなかったマイコプラズマなども、治療を拒絶する健康過信タイプには通院を無理強いすることもできない。
マスク=インフルエンザ、というパニックもどうか。
インフルエンザの人がマスクをせず街を闊歩し、身を守りたい人がマスクで防御する。だが、マスク vs インフルエンザでは、圧倒的にインフルエンザのほうが強い。飛沫感染を防ぐために咳をする人がすべきなのがマスクだ、と、この国は小学校から教えるべきだ。
Shall We Mask?
運転免許の講習場で、子連れの母子が私の背後に入ってきた。背中からコンコン子供の咳が聞こえる。
「絶対、マスクをしていない」と確信をもって、咳のほうを振り返った。子供は鼻をたらしながら咳込んでいた。母親としてどうか。他人への感染以前に、これほど咳をする子供にマスクひとつしてやれない母親。こういう一瞬に、「咳をする人はマスクをつけましょう」ということすら徹底できない“無知の国”であることを、思い知る。
花粉症から自らの身を守るためにはマスクはするが、自分で咳をするときにはマスクをしない。こうなると「私は自分以外の誰かがどうなろうと関係ないと考える人間です」と、何とも恥ずかしい宣言をしているようなものだと思うのだが、現実にそういう人は少なからずいて、それ以外の人たちに迷惑をかけ続けている。
何とも情けない話だが、それが私たちの社会の現状だ。まず自衛。うつされたらすぐ病院へ。そして人にうつさない。
周りに構わず咳をまき散らす人とどうしても同席しなければいけないなら、予備に持ち歩いているマスクを「どうぞ」と笑顔で渡してみてはどうか。「ありがとう」とマスクを付ければそれでよし。「私は要りません」という態度なら困ったものだが、「ああ、この人には“マスク以外のこと”も真っ当な期待をしちゃいけないな」と分かったことで、よしとするとして、大多数の真っ当な皆さん、共に乗り切りましょう。