帰りの駅。ダイヤが狂った電車はいつやってくるかわからない状態だった。日が沈むと春一番の陽気は消え、冷たい風が牙をむいた。電車を待つ人たちは、春の陽気にうっかり選んだ薄着で、ホームにしゃがみこんでいる。私も吹きっさらしの中、コートで丸虫のように全身を覆い風から身を守った。案内より早く電車が到着した。先の案内を信じてホームを離れた客は乗りそびれる。混乱する時は、得てしてそういうものだ。電車の扉が開く。そして、新たな絶望。

 …乗れない…。

 遅延電車はすし詰め状態。かろうじて乗ったが奥に進めない。

 すみません、と、歩き出そうにも、「気分が悪くて立てない、動けないの」という女性を、「では、またぎますよ」と声をかけながらまたぎ、車両を移動した。飲まず食わずの一日だったので、岡山駅で食糧を買おうとしたが黒山の人だかり。諦めた。

 ああ、災害とはこうなるのだと学習した。まず、事態の受容に時間がかかる。次なる行動に移っても、行く先々に障害がある。病人がいる。ホッとしたら食糧がない。最後、寒さにも空腹にも耐えられる体力が問われる。

 たった一日、たかが春一番でこれだ。最終バスがさし迫っている時に延々と喋り続ける“偉い人”は、いざというときに素早い判断を下せるだろうか。一分をも惜しむ状況で対応が後手に回る若者はどうだろう。つい薄着し夜の極寒で立てなくなる女性も心配だ。

現実と向き合う

 震災などにおける被災の大変さは、当事者にしかわからない。被災についてわかったふうなことを言うつもりはない。しかし、突風ひとつで大混乱を来す事態を目の当たりにしながら改めて、不測の事態に大事なものは2つ、と感じた。

 1つは判断力。ひとたび事が起きれば、様々なことが予測不可能になる。私たちが当たり前と思っている日々の生活は「大きなトラブルが起きていない状態」が偶然にも積み重なっているだけで、想定外のことが起きたら、その都度、状況を判断しながら進んでいくしかない。

 振り返ってみる。

 電車が止まった後の判断はどうだったか。電車がいつ発車できるか、タクシーがすぐにつかまるか、誰に判断を任せるか、その時点の状況下で、自分なりに考えを整理して判断できていたように思う。

 高知同行を願い出たビジネスマンをタクシーに同乗させることは可能だったか。物理的には可能だった。しかし、それには互いの事情を確認して、同乗がビジネスマンにとって正しい選択かどうか確認する必要があった。あの場面でその時間はないと判断した。

 …いや、私が落ち着いた状況なら素早く確認できたかもしれない。冷静さを保っているつもりでも、急く気持ちがつい前に出る。次にこんな場面に遭遇したら一度深呼吸しようと思う。何度もないことを願いたいが。

 そしてもう1つの大事なもの、最後にものを言うのは体力だ。判断力と体力。捻りも何もない答えだが、結局これに尽きると思う。

 判断には経験が役に立つ。経験がないことなら、想像力を働かせたい。あるいは、経験者の話に耳を傾けたい。

 今も苦労している多くの人たちがいる。彼らは1月17日や3月11日限定でメディア上に現れる幻ではない。明日の私が、明日のあなたが、当事者になるかもしれない。彼らと私たちが歩んでいるのは、決して別の道ではない。

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