"私って、こういうヒト"系の女性タレントがよくするアプローチである。

 起きた出来事の深刻さを思えば、こういう愛らしいエピソードを混在させて書くことは、本人の思いがどのようなものかとは関わりなく、理解ではなく反発を生みかねない。

 …損だ…。

 "こういう女子"的表現が許容されるのはあくまで平常時で、非常時や深刻な事態にはそういうアプローチがそぐわないことを編集者は伝えなかったのだろうか。いや、それも含めての小保方晴子という人物を届けたかった編集者の意向だろうか。

ここから?

 実験に関わる話は、使用するラットとマウスの違いから書き始めてある。

 「ええっ?ここから書くの?」と目が留まる。

 それはつまり、一般読者に対し科学への理解を促し、やがて起きた発見と誤解の払拭を試みるものか、と思わせるが、「スポアライクステムセルの概念」などという、読み手に「無理っ!」と思わせる表現も並び、そこに解説はないところをみると、

 …つまり、科学理解本でもなさそうだ…。

 だが後半、この著作はその本性ともいうべき牙をむく。小保方氏は怒りの矛先を360度展開し、研究者たち、メディア関係者たちを実名で糾弾、告発する。早稲田大学の博士論文撤回は「生贄の儀式」と表現する。彼女はそれほど360度の世界から傷つけられたことを訴えている。あらゆるものをはく奪された女性の怒りはとても私には伝わった。そして、読んでいて動悸が激しくなった。それは、これほどメディアにぐちゃぐちゃにされて研究者仲間にも裏切られて傷ついたと書きながら、実名告発している以上、また、新たな地雷になる著作だったからだ。

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