おそらく、だが、国谷氏の熱さが、菅氏を熱くさせたのではないか。

 エンディング音楽が、あの、毎日のようにテレビに出ている菅氏の耳に入らなかったとするならば、それは菅氏も相当に熱くなっていたことの証明だ。

本気は小奇麗にまとまらない

 最後まで相手を逃すまい、と食い下がるキャスターと、その姿勢に心から不機嫌になった政府要人。これは、最後は必ず気持ちよく終わらねばならないといった“媚び系”番組と比較すると、とてもエキサイティングだ。

 いやーな気持ちで終わる番組とは、それほどに“本気度”が高い、ということだ。

 翻って残り20秒で、国谷キャスターほどの経験があれば、菅氏に向かって、今後の政府への期待、宿題、課題などを喋り、礼まで言って「ではまた」という選択もあっただろう。それなら"気持ちよく"番組が終われた。

 彼女はそれをしなかった。

 このことが示すプロ根性。そして、そういうプロ根性を評価される時代ではもはやなくなった、ということは、少なくとも私にとっては他人事とは思えず沈鬱な気分になった。"いやーな気持ち"ということのほうが看過されない時代になったことを突き付けられる番組となった。

 政治家をゲストに招くと陥りやすいことがある。それは都合のいい情報発信に番組を利用されかねないことだ。質問3秒、回答5分など珍しくない。着地は政党自慢になっていたりもする。そこを、相手に非礼なく話を止め、決して、自慢話や作為的言論に終始させず、痛いところを突いていく。こういう芸当にはプロの技術が要る。番組というのはいつでも政治の広報機関になりかねない。そこに待ったをかけられる稀有な女性、優秀な女性が外された。このことの意味は、優秀ゆえに外された、と私は理解する。