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ご相談
NHK「クローズアップ現代」のキャスター国谷裕子さんが降板されると聞きました。凛とした姿勢が好きでよく番組を拝見していましたので残念です。理由がいろいろ取り沙汰されていて、もやもやした気持ちが消えません。(40代、女性)
遙から
「女性を応援する」「女性が活躍する社会」――そうしたスローガンを沈鬱な面持ちで聞き流している女は私だけだろうか。そう思わずにはいられないNHK「クローズアップ現代」のキャスター国谷裕子氏の降板確定だった。彼女が番組を通じて発信する情報は、彼女自身のパーソナリティ、理念なしには成立しないと視聴者ならお気づきだろう。構成台本であらかじめ書けることには限界がある。台本を超えて、突っこんで聞きたいことが彼女にはあった。そして、そこがこの番組の見どころだった。
闇の中で考える
忘れられないのは2008年、新銀行東京の経営危機をめぐる問題で石原慎太郎都知事(当時)に迫った時だ。「よろしくね~」的態度で登場した知事に向かって厳しい質問を重ね、不機嫌を隠さない知事になおも追及を続けた。番組の最後で「ではまた」と締める国谷さんが汗だくだったのが、目に焼き付いて離れない。この人は命を削るように仕事をしている。相手を怒らせることを承知で、相手にとって最も嫌なことを質問している。そのせめぎ合いに全力で臨む真剣さが、汗の量に表れていると感じた。
私自身(比べるのも失礼な話だが)、トーク番組に出演後、衣装を脱ぐ時に「これほど汗をかいたのか…」と自分で驚くことがある。本番中はそれほど話のやり取りに集中している。喫茶店で4時間喋っても汗はかかない。公開の場で、相手が怒るとわかっている質問をして、怒らせる。その怒りの矛先が自分に向けられる。そういうことがどれほどのストレスか、私にも少しだけわかる。
彼女の降板理由と噂されているのが、集団的自衛権をめぐる問題で菅義偉官房長官をゲストに迎えた回だという。
降板確定後のメディアを見る限り、「しかし、しかし」と執拗だった、とか、菅氏がまだ喋っている途中に番組が終わり、NHKが後でえらく叱られたとかいう話も流れているが、菅氏は否定している。
とするならば、あれほど優秀で度胸も勇気もあり、20年以上番組に貢献し、幅広い年代の人々に受け入れられている稀有なキャスターが降板する理由は闇の中だ。SMAPの解散報道と似ている。本当のところは外からではわからない。
と割り切り気味に言いながら、何ともすっきりしない。私は降板のきっかけとなったとされる放送を吟味しないではいられなかった。
何度も放送を見た。キャスターの対応に無礼さはない。だがひとつ気づくところがあった。
それは番組が「なんか、いやーな雰囲気で終わった」ということ。
生放送にこだわりながら、深刻だったり複雑だったりするテーマを扱う番組では、時にすっきりと終わらないことがあるのは、想定の範囲内であろう。
残り20秒の攻防
私も(本当に比較して申し訳ないが)、生放送で言い足りずに誤解を与え、いやーな雰囲気で共演者を怒らせてしまい、CM中ずっと罵声を浴びせられ続けたことなどが過去に何度かあるし、それが原因で仕事を失ったこともある。だからといって、皆がびくびくしながら慎重な発言を重ねるだけでは、非常につまらない番組になる。敢えて攻めに徹するか、媚びや温和に走るか、といったことは、そのタレントの仕事の仕方、生き方にかかわる問題として常に自問自答される。
国谷キャスターは明らかに前者。そうして相手を怒らせるほど踏み入れば、“全面対決”や“自爆”の危険と紙一重のトークになる。それをさせてくれるかどうかはスタッフと局の腹のくくり方にかかる。今回はこの牙城が崩れた、と、私は見る。
では、スタッフが守り切れなかった直前の番組内容はどうだったか。その、"いやーな雰囲気"になったポイントを検証したい。
まず、番組の中身について乱暴なダイジェストを書くことにする。
冒頭で菅氏は言う。「ここ42年の間に、もはや一国では平和を守れなくなった」と。
そこから、憲法9条の解説、歴代総理の発言、そして新3原則などの説明に時間を使う。そして最後の最後。番組があと40秒で終わる、という時にそれはあった。
終了40秒前にNHKの男性が官房長官に聞く。
「(憲法解釈変更への)不安や懸念の払しょくは?」
官房長官は答える。
「しっかり慎重にひとつひとつ国会審議で国民に理解を求めていく」
この2つの会話で残り20秒になった。この時だ。行くつもりか国谷!と驚愕する質問があった。
国谷氏が菅氏にたたみ掛けた。くどいようだが、番組終了20秒前だ。
「憲法解釈変更の、原則部分での違和感や不安をどう払しょくしていくのか」
ほぼ、前述の男性と同じ質問だ。なぜ、20秒前に、同じ質問を相手に再度たたみ掛けたのか。
それは、熱さゆえに
つまりそれは「それでは答えになっとらん。無難な逃げ方をするな。説明責任を果たせ」という追い込みであり、ここに国谷氏の攻めの醍醐味を見る。この質問をし終えた段階で時間を見ると、菅氏の返答時間はすでに10秒しかない。質問に10秒。答えに10秒。時間で判断するに、「ここでそれを聞く!?」と、これはとんでもない勝負に出たなと感じた。
生放送の進行中、製作スタッフの大事な仕事の1つが、出演者にオンエア終了までの残時間を伝えることだ。私が出演する民報番組ではフロアADが逐次ボードで示してくれる。当然、NHKでもそれはあるはずだ。
ラスト20秒、が国谷氏に届いていないわけがない。なのに突っ込んでいった。
「憲法解釈変更の、原則部分での違和感と不安」について。これにいったい誰が10秒で答えられようか。
発言に慎重な菅氏。まして、憲法問題だ。不機嫌を隠さず言った。冒頭と同じ言葉だった。
「そもそも、42年間、一国で平和を守れる時代では…」で、番組が終わった。正確に言えば、喋っている途中なのだから、「終了」というより「中断」だ。
そりゃ、いやーな雰囲気でスタジオが満ちたであろうことは、容易に想像がつく。しかし、場慣れしているゲストなら、エンディングの音楽が流れ始めたタイミングで気がつくはずだ。「あ、もうそろそろ締めの時間だな」と。その場合、それにふさわしいひと言で締めるチャンスは残されていた。菅氏はそれに気づかなかったのか。
おそらく、だが、国谷氏の熱さが、菅氏を熱くさせたのではないか。
エンディング音楽が、あの、毎日のようにテレビに出ている菅氏の耳に入らなかったとするならば、それは菅氏も相当に熱くなっていたことの証明だ。
本気は小奇麗にまとまらない
最後まで相手を逃すまい、と食い下がるキャスターと、その姿勢に心から不機嫌になった政府要人。これは、最後は必ず気持ちよく終わらねばならないといった“媚び系”番組と比較すると、とてもエキサイティングだ。
いやーな気持ちで終わる番組とは、それほどに“本気度”が高い、ということだ。
翻って残り20秒で、国谷キャスターほどの経験があれば、菅氏に向かって、今後の政府への期待、宿題、課題などを喋り、礼まで言って「ではまた」という選択もあっただろう。それなら"気持ちよく"番組が終われた。
彼女はそれをしなかった。
このことが示すプロ根性。そして、そういうプロ根性を評価される時代ではもはやなくなった、ということは、少なくとも私にとっては他人事とは思えず沈鬱な気分になった。"いやーな気持ち"ということのほうが看過されない時代になったことを突き付けられる番組となった。
政治家をゲストに招くと陥りやすいことがある。それは都合のいい情報発信に番組を利用されかねないことだ。質問3秒、回答5分など珍しくない。着地は政党自慢になっていたりもする。そこを、相手に非礼なく話を止め、決して、自慢話や作為的言論に終始させず、痛いところを突いていく。こういう芸当にはプロの技術が要る。番組というのはいつでも政治の広報機関になりかねない。そこに待ったをかけられる稀有な女性、優秀な女性が外された。このことの意味は、優秀ゆえに外された、と私は理解する。
その流れを横目に見ながら、声高にアピールされる女性活用、女性活躍社会について考える。さて結局、権力者たちを居心地よく扱ってくれる女性を優秀とする時代なのか。
攻める女は止められない
「1億総活躍国民会議」の民間議員に選出された菊池桃子氏は、かつてのアイドル時代の癒し系の雰囲気を漂わせながら、言うべきことはしっかり発言する姿勢が脚光を浴びた。
その筋から見えてくるのは、癒しと強さを兼ね備えた女性。そうした“理想像”は結局、昔から変わらず、これからも続くのだろう。
でも、それが唯一解というわけでもないだろう。「一歩も引かずに敢えて攻める女」の凛々しさをリアルに目撃した勝ち気な女子たちは、「これはこれで、かっこいい」と、きっと思っている。
国会を見れば蓮舫氏がいる。「第二の国谷氏」はきっと出てくる。叩いても切っても、それを止めることはできない。女は「都合よく活用するもの」と思っていて、“いやーな気持ち”にさせることを許せない人には、さぞ目障りだろうが。