マイケルジャクソンが自宅に遊園地を作り、友達をサルにしたことを思い出してほしい。

 つまりはそういう職業なのだ。

 タレントで知名度を得る=成功、とは言い切れない悪魔との取引がある。それは、生涯、自由を失う、ということだ。だが、これを麻薬のように快感とするタイプもいれば、つくづくほとほと嫌になって自宅に遊園地を作るタイプもいる、ということだ。

 なにをフツーにのびのびと不倫やっとるか、と、写真を見て彼らの若さ幼さを思った。

 本人は否定しているので、ここでは個人としての不倫の是非論を問うつもりはない。今回を機に"タレントが不倫をする時"の是非論を書きたい。

 結論から言うと「死ぬ気で隠せ」だ。

無邪気が邪気に

 新たな時代の恐怖を感じたのが「LINEの暴露」だ。二人のLINE上のやりとりとされるものがメディアで公開された。

 「不倫は文化」と言ったとか言わないとかで石田純一氏が物議をかもしたのは、あれは、その中身が露呈していないから成立したトンデモ発言で、どこか許せる感があり、キャラクター内に押しとどめられて今日の好感度の維持がある。

 あくまで、中身が露呈していないからだ。

 だが、今回のベッキー不倫疑惑騒動では、写真もありLINEの会話もある。離婚を匂わす代替用語に「卒論」という言葉を使い、「せーの」という言葉の続きには「おやすみ」にニッコリマークをつけている。

 この「卒論」という言葉が世間の妻たちの怒りを買った。妻を侮辱している舐めていると。当然だ。卒論どころか私が妻なら「せーの」「おやすみ」で死刑レベルだ。

 この会話からは、妻がいる男性のアプローチをたやすく"許す"女性のある種の価値観があり、自尊心の低さがあると私は見ている。いわゆる愛人は、相手の男の妻と対立関係にあり、オンナというカテゴリーでは同類であり、法律上は訴えられかねない危うい立場にある。その関係の中で、男性が妻をムゲにする言動を愛人側が許してしまうのは、よほど男性にのぼせ上がっているか、よほど想像力が欠けるか。そもそも「妻がいるくせに私にすり寄るな」的自尊心の高さがあれば、オトコの欲どおしさを撥ねつけもしただろう。

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