兄嫁も家族の不満を私に口にした。

 「兄弟の嫁連中はすっかり動かなくなって、甥の嫁たちがよく働いてくれたわ。でもね、孫はもう手伝える年頃なのに、甥の嫁たちが、孫を動かそうとしないのよ」

 「・・・その孫とは、女の子、を指して今言ってるよね」

 「そーよ」

それはそれ、ここはここ

 「男の子の孫を指して、動かない、とは思わないし、動かないことを疑問にも思わないんだよね」

 「それは、あなたの考え方。ここは、ここの考え方。もっと孫の女の子が動かねば。姪は姪で動かないのよ」

 甥が動かないのに、なぜ女という理由だけで自分だけ動かねばならないのかという姪の憮然とした感情はとてもよく理解できる。

 正月の行事があるだけで、あっという間に、女性活躍とは「一生懸命家事をする人」の意味に変換されてしまう。それも女による女の手によって。

 だが、その女の手から私は「これがあなたの家の雑煮の味よ」と一人分の雑煮をもらった。

 正月なんて、なくなればいい。

 少なくとも、国をあげて祝う価値があるのだろうか。ハロウィン程度のごく一部の人の趣味の盛り上がりでいいのではないのか。

 あら、おたく、お正月なのね、てな具合に。

 昔、正月は家族全員が着物姿で過ごした。それが今、元旦でも着物姿を見る機会は消え、町内会に町内会長が仕切っていた小さな神社も閉まり、少し大きな神社も、正月三が日だというのに賽銭箱と神様の間の仕切りがもうすでに半分閉まっていた。

 正月の光景はもう絶滅危惧種なのだなぁ、と、感じた初詣だった。

 その頃、友人から電話がかかってきた。

 「今、高津神社にいるねんけど、すごい人やわ。おみくじ一時間待ち!」と。