ご相談
正月が苦手です。一家団らん好きな皆さんは団らんを存分に楽しんでいただいて結構なのですが、正月明けの団らん自慢に付き合うのが苦手です。団らんに縁のない人間、団らんを望まない人間もいること、広くご理解いただければ幸いです。(30代女性)
遙から
やっと正月が過ぎた。
正月が近づくと毎年ずっと得体の知れない迷いに陥るのだった。
それは"家族の行事"との距離の取り方についてだ。家族とどう付き合うか。家族の庇護の下にいた頃には選択肢のなかった、自立できたならではの新たな問いかけとしてそれはある。正月が近づく度に陥る答えの出ない迷い。
相手は家族だ。家族であるからして縁は切れない。が、もはや仲良しさんという関係性ではない大人、いや、高齢になり、まだなお繋がり続ける意味を毎年考えさせられる。
昔、その違和感は、正月の"家事"に芽生えた。男たちが座敷でくつろぎ、雑煮を食べ、おせちの出来上がり具合にケチをつけながら機嫌よく酒に酔いしれる長い一日。
その間、朝ごはん、昼、夜、と、女たちはずっと台所で動き回る。正月に日持ちのするおせち料理を作るのは、日ごろ家事に忙しい主婦が正月ぐらいは休めるように、との知恵が込められていると聞いたが、現実は…。そして、この光景が幸せな家族団らんに映る人にとっては手放し難いホッとする光景で、これが、伝統と文化という言葉の縛りに駆り出された嫁たちの労働としか映らない私みたいな女には、疑問しか浮かばない。
「正月って、要るのか?」
兄嫁のフグ
男たちは機嫌よく、よく笑った。女たちは疲れた表情を隠さない。この格差をそんなもんだと見える側と、仕方がない、正月ってそんなもんだと受容する側。
私は、そのどちら側でもない。だから毎年迷うのだ。
あの、浮かれた奴らと疲れ切った側の顔を見に、実家に帰る必要はあるのだろうか、と。
そこでまた疑問が浮かぶ。
「家族って、要るのか?」
私の家族ごっこ嫌いをよく知る長男の妻は、私をなんとか家族から孤立させまい、と、大晦日に「フグを食べにいらっしゃい」と誘った。
絶妙にうまい誘いだ。
家族行事としての「紅白と年越しそば」と言わず、「フグ」という。
フグなら行ってやろうか、と、行くことにした。
家族行事じゃないから気楽に戻れる。そして帰宅時に兄嫁が私にそっと渡したもの。
「はい。これが、あなたの家のお雑煮の味よ。我が家は、白みそで大根と人参を入れるの。そして餅ね。元旦はこれらを一緒に煮て、お雑煮を食べなさい」
兄嫁は私の家族拒絶をよく理解してくれていた。
義妹がずっと実家の雑煮を食べていないことを案じてくれたのだろう、一人分のお雑煮セットをもたせてくれたのだった。
正月に一人で雑煮を作って初めて、「へぇ。大根が入っていたのかぁ」と、知った。
亡き親の味を、その家に嫁いだ高齢の兄嫁から教わるという不思議。
突き放す愛情
夕方、電話が鳴った。留守電にメッセージは入ってなかったが、兄嫁からだった。
翌日用事を聞くと、「せっかく家族全員揃ったのだから、やっぱり、晩御飯に来たらどうかな、って思っただけ」という。
それを留守電に残さない兄嫁は、それだけ私の家族ごっこ嫌いを理解してくれているということ。絶妙だ。
もし留守電にそれが入っていたなら、こうメールを打っただろう。
「だから、行けへんっちゅーねん」
毎年毎年悩みながら、そして帰ってみては誰かと本気で喧嘩をし、会うと口論にしかならない家族とそもそも会う必要があるのか、と、悩み抜いてきて、今年、初めて、迷うことから解放された。
解放してくれたのは、「はい。家族の味よ」と言って渡された一人分のお雑煮セットだ。
愛情の証でもあり、「正月は一人で過ごせ」という突き放すメッセージでもあった。が、それを人からしてもらってやっと、自力だけではまだ迷ったであろう家族病から解き放たれた。
正月は自由だった。正月であるという特別な感慨や正月気分に浸ることなく、いつも通りの一日を過ごした。私に正月はなかった。ただ朝ごはんに雑煮があったというだけ。
これでいい。と、思えた。とても自分らしい一年のスタートに思えた。
いない人の役割
後日、兄嫁から家族写真を見せられた。兄たちはとても老けていた。甥たちまでもがぽっちゃりしたおっさんの姿に変貌していた。
「ずっと、あんたの悪口言ってたわよ」と兄嫁。
人が集まると、ほぼ、いない人の悪口になるのが相場だ。
「へえ。どんな」
「あんたが20代の時の海外旅行先で、ホテルが気に食わないと泣きながら電話がかかってきたから俺が別のホテルを取ってやったのに、今だにお礼もない」という兄。
そして、「洋子が俺に、たまには奢れ。洋子ばかりが奢るのは違う、と言われた」と文句をいう兄。
笑った。
そして、反論した。
「何十年前の話や。そもそも、やみくもに『ローマのホテルが気に入らない』と国際電話をかけたのではない。旅行代理店で働く兄に言ったのだ。ホテルとるのが仕事の、旅行代理店や。それがどれほどの苦労だというのか。もし兄が弁当屋さんなら、『畑違いの用事を頼んで苦労したやろ。申し訳なかったなぁ』と詫びるだろうし、そもそもローマのホテル手配を頼むワケもない。旅行代理店の兄にホテルを取ってもらった。これ、何十年と感謝し続けねばならないことか? そして、妹ばかりが奢ることに慣れきっている兄に、たまに奢り返せと私が言ったとして、それはその通りじゃないか。なにか、どこか、間違っているのか」
兄嫁は私に言った。
「皆、妹が頼ってくれないから寂しいのよ。兄たちは妹にかまってほしいのよ」
・・・知るけっ。
兄嫁も家族の不満を私に口にした。
「兄弟の嫁連中はすっかり動かなくなって、甥の嫁たちがよく働いてくれたわ。でもね、孫はもう手伝える年頃なのに、甥の嫁たちが、孫を動かそうとしないのよ」
「・・・その孫とは、女の子、を指して今言ってるよね」
「そーよ」
それはそれ、ここはここ
「男の子の孫を指して、動かない、とは思わないし、動かないことを疑問にも思わないんだよね」
「それは、あなたの考え方。ここは、ここの考え方。もっと孫の女の子が動かねば。姪は姪で動かないのよ」
甥が動かないのに、なぜ女という理由だけで自分だけ動かねばならないのかという姪の憮然とした感情はとてもよく理解できる。
正月の行事があるだけで、あっという間に、女性活躍とは「一生懸命家事をする人」の意味に変換されてしまう。それも女による女の手によって。
だが、その女の手から私は「これがあなたの家の雑煮の味よ」と一人分の雑煮をもらった。
正月なんて、なくなればいい。
少なくとも、国をあげて祝う価値があるのだろうか。ハロウィン程度のごく一部の人の趣味の盛り上がりでいいのではないのか。
あら、おたく、お正月なのね、てな具合に。
昔、正月は家族全員が着物姿で過ごした。それが今、元旦でも着物姿を見る機会は消え、町内会に町内会長が仕切っていた小さな神社も閉まり、少し大きな神社も、正月三が日だというのに賽銭箱と神様の間の仕切りがもうすでに半分閉まっていた。
正月の光景はもう絶滅危惧種なのだなぁ、と、感じた初詣だった。
その頃、友人から電話がかかってきた。
「今、高津神社にいるねんけど、すごい人やわ。おみくじ一時間待ち!」と。
すっぱり卒業
そして、その理由をこう言った。
「不景気やねんなぁ。高津神社は、昔から宝くじが当たる神社で落語でも有名で、不景気になると皆、宝くじ当てたさに長蛇の列ができるねん。私、学生時代からこの神社の巫女をバイトでやってきたから、よーく知ってるねん。景気悪いでぇ」
私の地元では人が減り、神社も正月から閉じた。一方、宝くじの神社は長蛇の列。そして、正月の"幸せな光景"とされる家族ごっこは、私を筆頭として、次はおそらく姪、そして、孫の中でも女の子たちの将来の反乱が予測できる絶滅危惧光景としてある。
もう姪の反乱は始まっている。
私は気分のいいスタートが切れた。毎年、ぐずぐずと迷い、家族とは何かと答えのでない迷路にはまっていた大晦日から、すっぱり卒業できた。私に正月はいらない。あるのは、新年のスタートがあるのみだ。家族ごっこは、好きな人がやればいい。