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 たとえば、幕臣としての職を失い、一旦は新政府の職を得たものの、それをまた失った本多元治という元代官所勤めの下級官僚。彼は、幕臣として小石川に200坪の屋敷地を持っていた。これを、東京府への請願を繰り返し、本所の80坪の土地と取り換えてもらうこととなった。なぜ、そんなことをしたのかと言えば、人口減の中で、それぞれの土地のもつ資産価値も大きく変わったからだ。

 東京の人口が大幅に減少する中で、新政府は東京の都市としての縮小を図り、住人がまばらとなった地域では、空いた土地を桑畑・茶畑にしようとしていた。本多の所有する小石川もその対象であり、武家屋敷地域であったはずのところが、次第に桑茶畑になり、資産価値が下がることは明白。

 一方、もともと間借りしていて土地勘もある本所一帯は、川を通じた水運ターミナルとして、また歓楽街として、繁栄し続ける可能性が高く、たとえ広さが減ったとしても、こちらに土地を確保すれば、一定の資産価値を担保できるというわけだ。

 あまり乱暴に一般化するのはどうかとも思うが、大きな社会・経済変動があると、資産の価値のあり方も大きく変わる。この際、市井の人々は、それぞれの才覚で、なんとか有利に立ち回ろうと必死で行動し始める。こういった行動の集合・蓄積が、また時代の歯車をさらに回していくことにつながるのだろうと思う。

人びとの活力生み出すインセンティブが必要

 本書の中で、本多氏以外に取り上げられているどの例もが示しているのは、「過去のパラダイムの中で、それなりに合理性のある仕組みや社会習慣が作り上げられている」こと、そして、「シンプルな政策変更に見えること(たとえば、土地利用のあり方の変更など)が二次波及・三次波及効果として、個々人の自己利益の防衛や新しい利潤追求につながり、ダイナミックな社会・経済変化をもたらすこと」だ(もちろん、その中で、一般人の味わう「非合理な経験と思い」や「悲哀」も描き出されてくるのだが)。

 工業化社会の最終盤に差し掛かり、米国一極集中から多極化へ向かう世界。工業化による生産性向上とGDP(国内総生産)成長、というパラダイムから、デジタル化・情報化によるさまざまな最適化と(GDPではとらえきれない指標も含めた)人々の厚生と幸福の向上、というパラダイムへのシフト。この中で、リーダーたち主導の大きな政策変更や紛争などのイベントが起こってくるだろう。

 ただ、本当に時代の歯車を大きく回していくのは、その大波の中で、懸命に生きる個々の一般人の営みであろう。少なくとも、それが健全な方向に向かうインセンティブを包含した政策、あるいは企業家・生活者の活力を活かす政策。これが、いままで以上に求められる時代になってきた。

 そんなことを再確認させてくれる良書だった。ご興味のある方は、ぜひご一読ください。