写真は円山公園 坂本龍馬・中岡慎太郎像(写真:PIXTA)
時代が移り変わる時に、何が起こるのか、ということに大変興味がある。もちろん、今が時代の変化の「とば口」にあるという認識だからだ。
この観点で、いろいろな時代の変わり目について少しずつ勉強し直しているのだが、その中で、維新期の東京について、非常に面白い本に出会った。『江戸東京の明治維新』(横山百合子著、岩波新書)という書籍である。
市井の生活者の視点で社会・経済の変化をあぶり出すという手法で書かれていて、旧幕臣、「床商人」(屋台のような店を構える小商人)、遊女などが維新期の大きな変化の波にどう翻弄され、そしてどう行動したかの具体例が描かれている。
時代全体を俯瞰した一般向けの歴史書だと、どうしても幕府あるいは新政府のリーダーたちがどう行動したか、あるいはその背景となる列強の行動、といった「社会上位層の視点」「マクロの視点」が中心となりがちで、一般人たる生活者についての記述があってもごくわずかにとどまることが多い。
一方、論文など専門的論考には、原資料をもとに、生活者がどういう影響を受け、どう行動したか、についての研究結果を詳述したものは数多くあるが、一般向けとは言い難い。このあたりのギャップを埋めてくれる面白い本である。
(昔、大ヒット作となった『元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世』(神坂次郎著、中公新書)にもう少し大きな背景と俯瞰的要素を加えたような、といったら、おわかりいただけるだろうか。)
言うまでもなく、江戸から東京へ、というのは大きな変化だ。江戸城無血開城、上野寛永寺の戦い、といった象徴的なイベントを超えて、さまざまな社会・経済面の激動がある。
維新後、人口が4割減少した東京
それらの中で、恥ずかしながら、本書で初めて気づかされたのは、維新前後の人口変動の大きさとそのインパクトだ。
よく知られているように江戸は世界有数の大都市である。幕末には江戸の人口が100万人を超え、その約半分は武家人口だった。
しかし、明治になり新首都となった東京からは、参勤交代の義務がなくなった諸大名、その家来と家族が国許へ戻ってしまった。また旧幕臣の旗本御家人3万人のうち、半数も徳川家に従って、静岡に移った。この結果、一年足らずのうちに、東京の人口は4割近く減少し、67万人あまりになってしまったという。
これは、武家人口がもたらしていた需要がほぼ消滅したということに近い。突如、大不況がやってきたようなものであり、生活基盤の激変に直面した武士たちだけでなく、武家に奉公していた人々、あるいは武家を顧客として商いを営んでいた人々など、町人たちにも激甚な影響があったわけだ。
さて、横山氏が描き出すのは、この大波の中で、必死にしたたかに生き抜こうとする新首都東京の個々の生活者だ。
たとえば、幕臣としての職を失い、一旦は新政府の職を得たものの、それをまた失った本多元治という元代官所勤めの下級官僚。彼は、幕臣として小石川に200坪の屋敷地を持っていた。これを、東京府への請願を繰り返し、本所の80坪の土地と取り換えてもらうこととなった。なぜ、そんなことをしたのかと言えば、人口減の中で、それぞれの土地のもつ資産価値も大きく変わったからだ。
東京の人口が大幅に減少する中で、新政府は東京の都市としての縮小を図り、住人がまばらとなった地域では、空いた土地を桑畑・茶畑にしようとしていた。本多の所有する小石川もその対象であり、武家屋敷地域であったはずのところが、次第に桑茶畑になり、資産価値が下がることは明白。
一方、もともと間借りしていて土地勘もある本所一帯は、川を通じた水運ターミナルとして、また歓楽街として、繁栄し続ける可能性が高く、たとえ広さが減ったとしても、こちらに土地を確保すれば、一定の資産価値を担保できるというわけだ。
あまり乱暴に一般化するのはどうかとも思うが、大きな社会・経済変動があると、資産の価値のあり方も大きく変わる。この際、市井の人々は、それぞれの才覚で、なんとか有利に立ち回ろうと必死で行動し始める。こういった行動の集合・蓄積が、また時代の歯車をさらに回していくことにつながるのだろうと思う。
人びとの活力生み出すインセンティブが必要
本書の中で、本多氏以外に取り上げられているどの例もが示しているのは、「過去のパラダイムの中で、それなりに合理性のある仕組みや社会習慣が作り上げられている」こと、そして、「シンプルな政策変更に見えること(たとえば、土地利用のあり方の変更など)が二次波及・三次波及効果として、個々人の自己利益の防衛や新しい利潤追求につながり、ダイナミックな社会・経済変化をもたらすこと」だ(もちろん、その中で、一般人の味わう「非合理な経験と思い」や「悲哀」も描き出されてくるのだが)。
工業化社会の最終盤に差し掛かり、米国一極集中から多極化へ向かう世界。工業化による生産性向上とGDP(国内総生産)成長、というパラダイムから、デジタル化・情報化によるさまざまな最適化と(GDPではとらえきれない指標も含めた)人々の厚生と幸福の向上、というパラダイムへのシフト。この中で、リーダーたち主導の大きな政策変更や紛争などのイベントが起こってくるだろう。
ただ、本当に時代の歯車を大きく回していくのは、その大波の中で、懸命に生きる個々の一般人の営みであろう。少なくとも、それが健全な方向に向かうインセンティブを包含した政策、あるいは企業家・生活者の活力を活かす政策。これが、いままで以上に求められる時代になってきた。
そんなことを再確認させてくれる良書だった。ご興味のある方は、ぜひご一読ください。
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