今回ご紹介した知人の例は、もう少し広い意味で、自分自身のQOLを高めるために、必要な知識を得て、さらに自分の状態に応じて、治療そのもの以外の生活や行動を変えてみる、という内容だ。患者は、医療の素人であることに甘んじず、栄養や運動の基礎知識を蓄える。しかし玄人に対抗することを目指すのではなく、プロの医師、プロの医療チームを補完する形で、積極的に治療に参画していく。

 これは、言ってみれば、「素人以上、玄人未満」の存在になろう、というススメである。

 さて、この話を聞かせてもらってから考えているのは、さまざまな場面での、素人以上、玄人未満であることの重要性だ。

 例えば、イノベーションの大きな源泉のひとつは、異分野の知識・知見を組み合わせることである。これを実現するためには、単純に異分野の専門家を複数集めればよいというわけではない。彼ら、彼女らをつなぎ、イノベーションを促進する触媒的存在が必要となる。

 ただ、この役割を果たす人は、自らが深く知っている領域だけでなく、様々な分野の専門家と対話できるレベルの知識を持っていなければならない。どの分野でも、一定の基礎知識、特に術語の意味するところや、基本的なモデル、あるいは学問体系の構造といったものを共有した人たち同士で対話が成り立っている。たとえ、本当の専門家ではなくとも、ここに達していなければ、異分野間をつなぎ、イノベーションの触媒役になることはできないのだ。

「一定の基礎知識」は大学の教養課程レベル

 この「一定の基礎知識」というのが曲者で、一体どれくらいを目指せばよいのか、に悩む企業は数多い。個人的には、大抵の場合、各領域で大学の教養課程で教えられているレベルが最低条件のように感じることが多い。

 例えば、データサイエンスの専門家と医療現場のプロを繋ぐには、ベイズ推計を中心とした統計学の基礎、あるいは病理学の基礎知識といったものを理解していれば、最低限の議論の土俵を作ることはできる。自分がどちらかの専門家であれば、相手方の大学教育の基礎部分を身につけておけばよいということになる。

 病気になった際の、自らのQOLを高めるための「素人以上、玄人未満」。仕事の上で、何か新しいことを作り出して行くための「素人以上、玄人未満」。知識の獲得とそれに基づいた行動が重要、というのはごくごく当たり前のことだが、その適用範囲は、これまで自分が考えていたものより、はるかに広い。

 そう考えると、「教養のための教養」ではなく、自分自身と社会のために勉強を続けるモチベーションが湧いてくる気がする。ちなみに、異分野の基礎を身につけると、自分の専門分野もさらに深く掘れるという実感もある。あくまで、個人的な感想だが…。

 なんだか学問のすすめ、のような話になってしまったが、読者の皆さんはどうお考えだろうか。