地味だが重要な変化が積み重なって、いつのまにか世界が変貌していることに気づくこともある。(写真:PIXTA)
地味で、ゆっくりとした変化は、目に見えにくい。したがって、気をつけていないと、自分が常識だと思っていることが、過去は正しかったのだが、現在ではまったく事実に反する「大間違い」になっているかもしれない。そんなことを考えさせてくれるデータがあった。
下に掲載した図1は、小学生や中学生のうち、むし歯がある生徒の割合の推移だ(文部科学省:平成28年度学校保健統計調査より)。たとえば、既にほとんどの歯が永久歯にはえかわっているであろう中学生の場合、1979年度(昭和54年)には、94.5%の生徒にむし歯があったのが、2016年度(平成28年)には37.5%に激減している。
出所: 文部科学省 平成28年度 学校保健統計調査
この数字には、むし歯になり、治療を済ませた人たち(2016年度で21.0%)も含まれている。逆に言うと、まったくむし歯になっていない生徒(62.5%)と治療済の生徒(21.0%)を合計すれば、調査時点でむし歯の問題を抱えていない中学生が8割以上にもなる、ということだ。
ゆっくり、しかし着実に世の中は変わる
恥ずかしながら、自分の小中学生時代を考えると、とてもあり得ない感じだ。毎年、歯科検診のたびに、大抵むし歯が発見されていた気がするし、そうでなくとも痛んだり詰め物がとれたりして、一年に一回以上は、歯医者に通っていた記憶がある。同級生も、外から見てもわかる程度に、どこかしら歯に詰め物をしていたのが大部分だった。
自分と同世代、そして前後世代くらいを見ていて、「ほとんどの子供は、どうしてもむし歯になってしまうもの」と思い込んできたのだが、これが今では、まったくずれた見方になっている。
学校での歯科検診、フッ素の塗布、歯磨き指導など、地道な活動の継続が数十年の間に、大きな変化をもたらしたのだろう。ゆっくり、しかし着実に世の中は変わっている。歯科医の方々や学校保健に関わっている方々からすれば当然なのだろうが、恥ずかしながら、私は変化に気づいていなかった。
むし歯の問題を抱えている小中学生は、ひと昔前に比べて劇的に減った。(写真:PIXTA)
「入れ歯」を使う高齢者のイメージはもう古いかも?
ついで、と言ってはなんだが、シニアの歯の事情も大きく変わってきているようだ。下に掲載した図2は、65歳以上の方々の中で、入れ歯等ではなく、自分の歯が20本以上残っている方の割合が、1993年、1999年、2005年、2011年、そして2016年と、5~6年ごとにどう変化してきたかを示したグラフだ(厚生労働省:平成28年歯科疾患実態調査より)。
一目瞭然だが、自分の歯が20本以上残っている人の割合は、どんどん伸びている。80歳になっても、自分の歯を20本以上残そう、それが健康な老後につながる、という「8020(ハチマルニイマル)運動」というのがあるが、今では、80歳~84歳の方々のうち、44%もが8020を達成している。1993年には、それが、11.7%に過ぎなかったのだから、随分良くなったものだと思う。
これまた、行政や歯科医の方々のご尽力があったのだろうし、さらにキシリトールやさまざまな洗口剤などをビジネスチャンスとしてとらえた民間企業の力も寄与して、中高年自身が自らの歯を守ろうというふうに意識が変わってきたのではないかと思う。
ただこの結果を見ながら、よくよく考えてみると、少なくとも私の世代などは、8020ではなく、もっと上を目指すべきなのだろう。なんとなく、頑張って到達すべき目標が80歳で20本であり、その近くまでいければいいや、と思ってしまっていたのだが……。
この2つのデータ、中身そのものも興味深いが、いろいろと示唆がある。
結果がすぐに出ない、ゆるやかな変化にも目を向ける
たとえば、国としての教育補助のあり方とその財源について、政治の場でも議論がかまびすしいが、教育もその結果が、すぐに目に見える変化を遂げる、といった類の話ではない。もちろん、デジタル社会で積極的に付加価値をつけることができる即戦力人材を、といった少し時間軸の短い話もある。ただ、子供の教育をよりよいものにする不断の努力を続け、長期で幸せな国と国民をつくっていく、というのは、歯の例と同様に、時間がたつと過去の常識が変わっている、という時間軸の長い話なのではないだろうか。
だとすると、私を含む中高年層が自分が受けてきた教育を無意識のうちに「常識」とした上で、ああでもない、こうでもない、と教育改革を語ることにはリスクがある。
少しずつ変わってきた「何か」をきちんと再確認し、その上で、数十年後の社会のために、大きな変化ではなく「磨きあげ」ていく部分は何か。あえて、付け加えたり、取り除いたりする部分は何か。こういう時間軸の長い「加減乗除」の話をする必要があると思う。
教育の例をあげたが、こういう息の長い話が他にも存在する。変化が激しい時代だけに、少しずつ、しかし時がたつと大きく変わるという種類の変化も、見逃さないようにしていこうと、少し改まった気持ちになっている。
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