以前にもご紹介したことがあるが、梅棹忠夫さんが『文明の生態史観』の中で興味深いことを述べておられた。いわく、日本や英国といった大陸の巨大帝国の周辺にある国は、騎馬民族を中心とした新興武力勢力の登場によっておこる戦争と帝国の興亡の繰り返しから離れた位置にある。その結果(外部との戦争およびそのための準備が比較的少なくてすみ)、専制国家ではなく資本主義構築に向いたブルジョワジー勢力が強い国になり得る、という話だ。

 大陸の帝国と比べれば、地理的に、戦争に巻き込まれる頻度が少ないということだろう。そういう意味で、戦争下手なところや、戦争についての論考が観念的になりがちなところがあるのだが、古代も含めた数少ない日本の戦争をきちんと振り返っておくことの価値は高いと思う。

中国、朝鮮、日本の3者の相互関係の中で戦争は起きた

 さて、個人的には、この本を読んで学んだ重要なポイントがふたつある。

 まず、日本の古代戦争は、中国、朝鮮、日本の3者の相互関係の中で起こっている、ということ。

 そもそも、現代の中国、北朝鮮、韓国(そして極東ロシアの一部)の版図は、歴史の中で為政者がたびたび入れ替わってきている。手元にある吉川弘文館発行の『世界史年表・地図』を繰ってみると、5世紀後半には、現在中国領である遼東半島から平壌の北あたりまでは、高句麗が支配し、西側の北魏と国境を接している。一方、半島南部には、新羅、百済、(小国家が集まる)伽耶の3国(地域)が分立していた。これが8~9世紀になると、平壌以南は新羅が統一、渤海と唐がその北側を分けあっている。

 この中国北東部(と極東ロシア)から朝鮮半島における各国間の関係が、日本が戦争をする大きな引き金となっているのだ。