「トランプにも一分の理」。最近、米国の友人と話していると、こういった意味の意見を言う人が増えている。とはいえ、いわゆる“隠れトランプ”層というわけではない。
トランプ大統領の言動の支離滅裂さにはうんざりし、これまでの価値観を破壊しつつ、それに代わるべきものや米国の将来ビジョンを示さない・示せない部分には怒りを感じる。そういう人たちであっても、トランプ氏のことを「三分の理」というほどは認めるわけにはいかないが、彼が提起した論点の中には真実をついている部分があるので(やっていることは本質的な解決をもたらさないものの)「一分」くらいの「理」はある、というのだ。
たとえば、今回のNATO(北大西洋条約機構)首脳会談。ロシアがここにいないのは不自然だ、と発言し、徹頭徹尾「もっと欧州各国は軍備にかかわるコストを負担せよ」と言い続けたトランプ氏は、会議をぶち壊しにした責任は免れない。
しかし、(経済・金融問題での調整機能を有するG7とは違い)冷戦終了によって、元々の対ソ連軍事連合という位置づけは見直しが必要なのに、従来の延長で存在し続けているNATOのこれからのあり方、あるいは、その中での各国の負担分担の考え方。方法論は別として、こういった点を先送りせずに提起したこと自体は正しい、ということらしい。
リーダー国家としては、無責任だが…
これまでの自由貿易体制の要であったWTO(世界貿易機関)の機能不全や、その仕組みの中での中国等新興経済のいいとこどりについても同様だ。乱暴にまとめてしまえば、「第二次大戦以降、世界を律してきた仕組みが制度疲労を起こしているのは事実、それを、白日の下に晒した価値はある」ということだろうか。
もちろん、解決策は「米国の負担減、カウンターパートの負担増」というゼロサムの中でのディールしかない、とするやり方は論外。また、世界のガバナンスシステムについての将来ビジョンよりも、米国ファーストで勝ち取れるものを勝ち取ることが重要という姿勢もリーダー国家としては、はなはだ無責任と言わざるを得ない。
さらに言えば、ちゃぶ台返しのようなやり方で、これまでの制度・仕組みと過去のリーダーたちを罵倒することで、みずからの支持者層から喝さいを受ける。このポピュリズム的手法は、危険な道だと思う。
これらの問題点を踏まえた上で、国際関係について提起している一部には、正しい論点も含んでいる、ということだ。
トランプ大統領登場以前から、時代の変化の中で、白人の労働者層を中心に、中流層から没落していく人たちが増えていた。それにもかかわらず、米国の政治・経済システムはそこに有効な手を打ててこなかった。当然、このことに対して、「忘れられた白人層」の人たちは、不満を持ち、強いアンチエスタブリッシュメントの思い・エトスを心に秘めていたに違いない。
トランプ大統領は、そこを突き、現在の選挙制度のひずみもあって、マグマのように溜まっていた思い・エトスを利用することで当選を果たした。
ここでも、中流の崩壊にどう対応するか、という論点自体は正当なもので、理がある。が、その答えをきちんと提示するのではなく、ネガティブな思い・エトスを自らが有利になるように利用したあたりは、とても正当化できない。
「正当だが見過ごされた、ないし先送りされた論点」をつき、同時に「有権者の不満をあおり、過去のやり方とリーダーを罵倒することで喝采を受ける」という組み合わせで、自らの選挙勝利を獲得したわけで、トランプ氏が中間選挙、そして再選を睨んで、さまざまな国際問題についても同様の手法をとることは、当然なのかもしれない。
ポジティブな変革には、何が必要か
さて、先送り、ないし見逃されてきた論点をきちんと提起する。その中で、変革を起こすために、人々の中にある思い・エトスを活用する。このどちらも、ポピュリスト的政治手法だけではなく、変化を避けがちな社会に対して、ポジティブな変革を起こしていくためにも、重要なポイントだ。
最近のコラムで、明治維新が実現した背景には、欧米列強の脅威だけでなく、門閥制度に阻まれて政治・行政のリーダーになれない下級武士の思い・エトスがあったのでは、という話を紹介させていただいた。
当然のことながら、それに続く問いは、今どうするのか、ということになる。さまざまな制度疲労にもかかわらず、大きな変化を避けてきた我が国に、ポジティブな変革をもたらすためには、どのような思い・エトスを拾い上げ、前向きな変革への力に変えていくのか、という問いだ。
正直なところ、現時点での個人的仮説めいたものになってしまうが、次回のコラムでは「いま着目すべき、日本の中に蓄積されてきた思い・エトス」について、少し触れてみたい。これが、来るべき議論のスタートポイントとなることを期待して。
具体論は次回に譲るが、私が「これは大事だな」と思う思い・エトスは、「地域愛」、「従来型経済成長への疑義」、「相対的貧困への怒りと将来不安」の3つだ。それぞれ、微妙に重なる部分があり、またその思い・エトスの具体的な顕れは、散発的な「点」に留まっていて、力となる「線」や「面」にはなっていないが、厳然と存在すると考えている。これらの背景と、今後どのような形で、ポジティブな活用を図っていくかについて、議論をしていきたいと思う。
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