さて、前掲書によれば、中央政府が雇っていたお雇い外国人は、1872年(明治5年)に369名、これが1875年には527名に達し、その後、1881年には166名と激減している。各省庁がそれぞれ雇っていたため、この数に含まれていない人もいた模様だし、さらには地方政府や私企業が雇っていた人たちもいるので、全体像はなかなか掴みがたいようだ。
しかし、比較的短期間(10年程度)の間に急激に増え、そして減っていった傾向は間違いなさそうである。必要な知識を吸収し終えた段階、あるいは日本人育成に一定の成果が見られた段階で、順次契約を打ち切っていったのだろう。
こんなことを調べたり、考えたりしているのは、これからしばらくの間、現代版お雇い外国人が必要なのではないかと思っているからだ。といっても、昨今政府が進めている人手不足対策としての外国人導入のことではない。
介護人材、建設作業人材、あるいは農業人材について、いわゆる研修制度の長期化やその後の滞在を可能にする政策変更が行われつつある。これはこれで、単純労働の補完に留めない、きちんとした報酬と福利厚生の提供を義務化する、日本語と日本文化の研修への支援を強化する、などの手当を行って進めていくのが良いと個人的に考えているが、ここでいう「現代版お雇い外国人」はそうではない。
AI、データサイエンスの分野での実務家を10年間程度、相当数「お雇い外国人」として招聘すべきだと考えているのだ。
明治初期には、産業革命のキャッチアップを急速に進めるために、欧米人の知見(と日本人への教育機能)を積極的に活用した。今度の産業革命は、まず第一段階として、データを活用して、既存の産業の生産性を圧倒的に高めることから始まる。このために、必要な人材を「輸入」し、日本の産業構造変革のスピードアップに積極的に活用すべきだと思う。
もちろん、見たこともないイノベーションが新しい産業を勃興させることもあるに違いないが、いま日本全体として取り組むべきは、当面AIとデータサイエンスが大きな効果を出す既存産業改革だ(基礎科学そのものが、AIとデータサイエンスを活用して、違うパラダイムに移行する上で、科学関連への官民両方での資金投下は不可欠だが、これはもっと足の長い話である)。
バブル終焉前の日本の一人あたりGDPは、ほぼ4万ドルに達していた。30年近く経った今も、同じようなレベルだ。この間、先進国は着実に一人あたりGDPを伸ばしている。例えば、ほぼ同レベルにあったスイスは今や7万ドルレベルにある。
日本の教育システムでは人材が供給できない
この差のかなりの部分は、サービス業の生産性の伸びの違いから生じている。さらに、日本が強いとされてきた製造業の多くも、サービス業を組み合わせたビジネスモデルに変化してきている(例えば、メルセデスのトラック事業は車体の売り切りから、メンテや金融も含むサービスモデルに進化している)。
グーグルやFacebookのようなB2Cデータを、グローバル市場で寡占的に集めるプラットフォーマー。あるいは陰に陽に国のサポートも受けながら、同様の競争力を身につけつつある中国のデジタルプラットフォーマー。彼らのAI/データサイエンス分野での技術進化の速さ、それに加えて圧倒的な利用可能データ量からくる競争力については、日常的に語られている。
確かに、彼らは強烈な強さを持っているが、日本の産業構造自体を変え、一人あたりGDPのレベルを急速にキャッチアップするためには、既存の製造業、サービス業へのAI・データサイエンスの実装が、最重要である。
大変残念ながら、これまでの日本の教育システムからは、この変革に必要な人材が質的・量的に提供されない。一流の研究者も一部には存在するし、少しずつ人材を増やす努力は始まっているのだが、このままでは立ち遅れていくだけだ。
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