「お雇い外国人」エドワード・モース(写真=GRANGER.COM/アフロ)
西洋文化の取り入れに、社会をあげて大わらわであった明治初期の日本。その中で、日本美術に独自の魅力を見出し、その維持・発展に大いに貢献したのがフェノロサだ。岡倉天心とともに、東京美術学校(現在の東京藝術大学の前身)設立に尽力、その第1期生には横山大観や菱田春草がいる。自身も狩野派に傾倒し、狩野永探という名を得て、古画の鑑定を行えるまでになっていたという。
恥ずかしながら、このフェノロサを日本に連れてきたのは、エドワード・モースだということを最近知った(正確に言えば、何度もこのことを読んでいたはずなのだが、記憶に残っていなかった…)。そう、大森貝塚のモースだ。
このあたり、『お雇い外国人 明治日本の脇役たち』(梅渓昇著、講談社学術文庫)に依って書くのだが、この時代のお雇い外国人たちの事跡や彼らの間の関係性は非常に面白い。
モースは、元々は、生物学・動物学の専門家だ。自らの研究のために来日していたところ、東京大学の外山正一教授からの依頼が縁で、1877年9月から「お雇い外国人教師として、東京大学に招聘される」ことになったらしい。東大での講義内容も、進化論を含む生物学、動物学、生理学だったが、来日して横浜から都心に向かう汽車の窓から、工事跡地に大量の貝殻があるのに気づき、大森貝塚を発掘した、というのはよく知られた通り。
モースは一時帰国に際して、物理と哲学の教授候補をそれぞれ探すことを頼まれ、その一人として、知人に紹介されたフェノロサを哲学教授として連れてくることになった由である。
モースは元々の専門分野である生物学・動物学から、貝塚の研究にも手を染め、日本の人類学、考古学の黎明をもたらした。同様に、フェノロサは専門である哲学、特にドイツ哲学に加えて、政治学や論理学も教えたが、さらに日本美術の研究に向かい、帰国後もボストン美術館の東洋部長を務めている。
この時代は日本の学術界がまさに黎明期で、様々な分野で活躍する余地があったこともあろうが、そもそも現代のように狭い領域の専門を深く突き詰めるのではなく、科学的研究手法や哲学的手法で、その周辺の研究対象を広げていくのが自然だったのだろう。
その副産物として、一人の教師が実に広い範囲の人材を育てている。例えば、フェノロサは美術方面で横山大観や菱田春草たちを育てただけでなく、ドイツ哲学を中心に哲学・政治学・論理学などの講義を通じて様々な人材を育成した。哲学者 井上哲次郎、仏教学者 井上円了、政治学者 高田早苗、法学者 穗積八束、あるいは教育家 嘉納治五郎などである。
さて、前掲書によれば、中央政府が雇っていたお雇い外国人は、1872年(明治5年)に369名、これが1875年には527名に達し、その後、1881年には166名と激減している。各省庁がそれぞれ雇っていたため、この数に含まれていない人もいた模様だし、さらには地方政府や私企業が雇っていた人たちもいるので、全体像はなかなか掴みがたいようだ。
しかし、比較的短期間(10年程度)の間に急激に増え、そして減っていった傾向は間違いなさそうである。必要な知識を吸収し終えた段階、あるいは日本人育成に一定の成果が見られた段階で、順次契約を打ち切っていったのだろう。
こんなことを調べたり、考えたりしているのは、これからしばらくの間、現代版お雇い外国人が必要なのではないかと思っているからだ。といっても、昨今政府が進めている人手不足対策としての外国人導入のことではない。
介護人材、建設作業人材、あるいは農業人材について、いわゆる研修制度の長期化やその後の滞在を可能にする政策変更が行われつつある。これはこれで、単純労働の補完に留めない、きちんとした報酬と福利厚生の提供を義務化する、日本語と日本文化の研修への支援を強化する、などの手当を行って進めていくのが良いと個人的に考えているが、ここでいう「現代版お雇い外国人」はそうではない。
AI、データサイエンスの分野での実務家を10年間程度、相当数「お雇い外国人」として招聘すべきだと考えているのだ。
明治初期には、産業革命のキャッチアップを急速に進めるために、欧米人の知見(と日本人への教育機能)を積極的に活用した。今度の産業革命は、まず第一段階として、データを活用して、既存の産業の生産性を圧倒的に高めることから始まる。このために、必要な人材を「輸入」し、日本の産業構造変革のスピードアップに積極的に活用すべきだと思う。
もちろん、見たこともないイノベーションが新しい産業を勃興させることもあるに違いないが、いま日本全体として取り組むべきは、当面AIとデータサイエンスが大きな効果を出す既存産業改革だ(基礎科学そのものが、AIとデータサイエンスを活用して、違うパラダイムに移行する上で、科学関連への官民両方での資金投下は不可欠だが、これはもっと足の長い話である)。
バブル終焉前の日本の一人あたりGDPは、ほぼ4万ドルに達していた。30年近く経った今も、同じようなレベルだ。この間、先進国は着実に一人あたりGDPを伸ばしている。例えば、ほぼ同レベルにあったスイスは今や7万ドルレベルにある。
日本の教育システムでは人材が供給できない
この差のかなりの部分は、サービス業の生産性の伸びの違いから生じている。さらに、日本が強いとされてきた製造業の多くも、サービス業を組み合わせたビジネスモデルに変化してきている(例えば、メルセデスのトラック事業は車体の売り切りから、メンテや金融も含むサービスモデルに進化している)。
グーグルやFacebookのようなB2Cデータを、グローバル市場で寡占的に集めるプラットフォーマー。あるいは陰に陽に国のサポートも受けながら、同様の競争力を身につけつつある中国のデジタルプラットフォーマー。彼らのAI/データサイエンス分野での技術進化の速さ、それに加えて圧倒的な利用可能データ量からくる競争力については、日常的に語られている。
確かに、彼らは強烈な強さを持っているが、日本の産業構造自体を変え、一人あたりGDPのレベルを急速にキャッチアップするためには、既存の製造業、サービス業へのAI・データサイエンスの実装が、最重要である。
大変残念ながら、これまでの日本の教育システムからは、この変革に必要な人材が質的・量的に提供されない。一流の研究者も一部には存在するし、少しずつ人材を増やす努力は始まっているのだが、このままでは立ち遅れていくだけだ。
幸いなことに、既存産業への実装には、超一流の研究者ではなく、AI/データサイエンスを普通に運用し、産業側の実務者と協業しながら実装していくミドルクラスの人材がいればよい。明治のお雇い外国人で言えば、東大で科学技術や政治学を講じる人ではなく、富岡製糸場で欧州の機械と技術の導入を手伝った人たちに近いかもしれない。
彼ら、彼女らを「お雇い外国人」として、これから10年の産業構造改革とそのスピードアップに活用しよう、というのが意図である。
トランプ登場が浮き彫りにした日本の長所
たまたま、であるが、日本にとって幸運なことに、トランプ大統領誕生後のアメリカ・ファースト政策の連発、移民に対する冷淡な政策の発動、そして一部にはそれを喜ぶ米国民の存在、などがあって、自由世界で民主主義的、かつ一定以上の安全と生活の質が担保できる日本の魅力度は相対的に上がってきている。
同様の立場にあり、かつAIでは名の知られた大学があるカナダには、数多くのアジア人技術者が目を向けている。特に、(現在シリコンバレーにいる人たちも含めて)インド系のミドルクラス技術者は、これからどこを活躍の場所とすべきか、真剣に考え始めている人たちが多数存在している。VISA優遇、助っ人としての報酬優遇、生活支援等を組み合わせることで、彼ら、彼女らを「現代版お雇い外国人」として積極的に招致する絶好のタイミングだと思う。
もちろん、その中から、日本文化とのフィットや日本語能力の程度から、永住を選択する人たちが出てきてくれることはなんの問題もない。
明治のお雇い外国人の中でも、母国との関係で日本に新天地を求めた人は、かなりいる。例えば、モースは進化論者であったため、米国で所属していた宗教色の強い大学で教授になれなかったという。現在の米国、あるいは中国やインドにも、同様の状況で外の機会をつかもうという人たちはいるはずだ。
この辺り、日本として、したたかに行動するタイミングではないかと思うが、どうだろうか。
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