現在の人事制度の根幹は「高度成長期」仕様

 現在の日本企業の人事制度の根幹は、第二次大戦後の高度成長期を迎えるタイミングでできてきた部分が多い。BCGの大先輩ジム・アベグレン氏が『日本の経営』を著し、その中で終身雇用・年功序列・企業内労働組合の3点セットが日本的経営の根幹だ、としたのが1958年。この時代に、製造業の競争力強化とこれらの人事マネジメントの仕組みが、切っても切り離せないようになり始めたのだろう。

 (ちなみに、『日本の経営』の原題は、”The Japanese Factory – Aspects of Its Social Organization”で、製造業の現場を念頭に置いたものである。)

 この頃から、高度成長期には、「安定的な職を得て、自分と家族の“食いぶち”を稼ぐ」という「目的」をベースにしつつも、「自分自身がきちんと働けば、昨日より今日、今日より明日、待遇は良くなる」そして「社会全体も、昨日より今日、今日より明日、豊かになる」という感覚も共有されていた。何より、家電製品や自家用車など、今まで持てなかったものが持てるようになるという、目に見えた変化が明らかだった時代だ。

 言い換えれば、「自分と家族の食いぶちの安定的確保(と順調な増加)」という「目的」、そして(自分が持ち分を果たすことで)「日本という社会全体をより豊かにする」というやや高次の「目的」が自然と並存し、またそれら両方をおおむね満たすことができる環境にあったということであろう。

制度の「換骨奪胎」の動きが繰り返されてきた

 その後、オイルショック、さらにはバブル経済とその破裂、低成長の常態化、という環境変化が続いた。その結果、「所得の安定的確保(と増加)」という目的も、「社会全体をより豊かにする」という目的も、なかなか果たしづらいようになった。

 人事制度の方は、年功序列を残しつつ、役職定年制を導入。あるいは、早期退職や非正規雇用の増を通じた雇用責任が及ぶ範囲の縮小。ということが行われ、組合の組織率の圧倒的な低下と併せて、制度自体を換骨奪胎する動きが繰り返されてきた。

 これ自体は、正直やむを得なかった部分もあると思うのだが、本来は「目的」を再設定することと併せて行うべきだったのではなかろうか。大きな会社に入れば大丈夫、あるいは、社会は時間の経過とともにより豊かになる、という考え方が、どうやら一種の幻想だったことが次第に明らかになったわけであり、元々の「目的」が信じられない状態で、仕事や会社へのコミットメントやエンゲージメントを高め続けるのは難しいのだから。

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