米国の心理学者、アブラハム・マズロー(1908~1970年)、5段階欲求説(マズローの欲求のピラミッド)を主張したことで広く知られている。(写真:The Granger Collection/amanaimages)
仕事の目的を見つめ直すことが、人事改革には不可欠
ボストン コンサルティング グループ(BCG)は、2015年にBrightHouse(ブライトハウス)というコンサルティング会社(日常業務の変革ではなく、企業の本来の存在意義にまでさかのぼってコンサルティングを行う「パーパス・ドリブン・コンサルティング」と呼ばれる領域の先駆企業)を獲得し、子会社のひとつとした。BrightHouseが得意とする「働き手にとってのPurpose(仕事の目的)を定義し共有すること」が、多くの企業にとって価値を生むような時代環境にあると確信したからだ。
BrightHouseに限らず、日本でもあちこちでPurposeということが語られるようになってきている。「目的」と訳す場合もあれば、「仕事の大義」とする方もおられるようだ。いわゆるミレニアム世代が台頭し、何のために仕事をするのか、ということを重視する層が増えてきた。こういう説明が加えられている例も多いが、要は時代環境がそれを求めるようになった、ということだろう。
私自身は、このPurpose(目的)の再定義(一体、なんのために仕事をするのか)が、多くの日本企業の人事改革に必須だと思っている。
環境が変われば、内から湧きあがる欲求も変わる
さて、皆さんご存じのマズローの5段階欲求説。この理論では、人間には、生物的・生理的な欲求から自己実現欲求まで、一種の心理的な欲求のハイアラーキーがあり、より低位のものが満たされると、高位のものを求めるようになると説明されることが多い。
(ちなみに、この説に対して科学的な証明が足りない等の批判はあるが、個人的には、マズロー理論を活用したマグレガーのX理論、Y理論とともに、「ヒト」のマネジメントを考える上で重要な基本フレームワークだと思う。)
マズロー自身もそう語っているようだが、「次第に高位の欲求が出てくる」というよりは「すべての種類の欲求が人間には内在していて、環境によって、どれがより強く出てくるかが変わる」ということではなかろうか。
現在の人事制度の根幹は「高度成長期」仕様
現在の日本企業の人事制度の根幹は、第二次大戦後の高度成長期を迎えるタイミングでできてきた部分が多い。BCGの大先輩ジム・アベグレン氏が『日本の経営』を著し、その中で終身雇用・年功序列・企業内労働組合の3点セットが日本的経営の根幹だ、としたのが1958年。この時代に、製造業の競争力強化とこれらの人事マネジメントの仕組みが、切っても切り離せないようになり始めたのだろう。
(ちなみに、『日本の経営』の原題は、”The Japanese Factory – Aspects of Its Social Organization”で、製造業の現場を念頭に置いたものである。)
この頃から、高度成長期には、「安定的な職を得て、自分と家族の“食いぶち”を稼ぐ」という「目的」をベースにしつつも、「自分自身がきちんと働けば、昨日より今日、今日より明日、待遇は良くなる」そして「社会全体も、昨日より今日、今日より明日、豊かになる」という感覚も共有されていた。何より、家電製品や自家用車など、今まで持てなかったものが持てるようになるという、目に見えた変化が明らかだった時代だ。
言い換えれば、「自分と家族の食いぶちの安定的確保(と順調な増加)」という「目的」、そして(自分が持ち分を果たすことで)「日本という社会全体をより豊かにする」というやや高次の「目的」が自然と並存し、またそれら両方をおおむね満たすことができる環境にあったということであろう。
制度の「換骨奪胎」の動きが繰り返されてきた
その後、オイルショック、さらにはバブル経済とその破裂、低成長の常態化、という環境変化が続いた。その結果、「所得の安定的確保(と増加)」という目的も、「社会全体をより豊かにする」という目的も、なかなか果たしづらいようになった。
人事制度の方は、年功序列を残しつつ、役職定年制を導入。あるいは、早期退職や非正規雇用の増を通じた雇用責任が及ぶ範囲の縮小。ということが行われ、組合の組織率の圧倒的な低下と併せて、制度自体を換骨奪胎する動きが繰り返されてきた。
これ自体は、正直やむを得なかった部分もあると思うのだが、本来は「目的」を再設定することと併せて行うべきだったのではなかろうか。大きな会社に入れば大丈夫、あるいは、社会は時間の経過とともにより豊かになる、という考え方が、どうやら一種の幻想だったことが次第に明らかになったわけであり、元々の「目的」が信じられない状態で、仕事や会社へのコミットメントやエンゲージメントを高め続けるのは難しいのだから。
本気で活躍してもらうための「目的の再定義」
そこに、幻想を共有しないミレニアム世代(私は、日本の場合、平成生まれ、と読み替えても良いと思っている)が社会人として登場してきた。デジタルネイティブとして、メディアよりも個々人が仕事や会社を評価する情報を信じる層。大企業志向は残っているものの、最優秀層の一群が起業やソーシャルビジネスに向かう層。
彼ら、彼女らを引き付け、リテインし、さらに本気で活躍してもらう。このためには、Purpose(目的)の再定義がどうしても必要となる。マズローの言うもっとも高次の欲求を、「この会社で仕事をする」ことを通じて、どう満たすことができるのか。会社の価値観やビジョンと、個人にとっても「目的」がどう整合するのか。こういったことを、一般論ではなく、個々の企業が問い直し、個別解を作り、伝えていく。これが重要なのだと思う。
「制度」と「目的」の整合性次第で、効果は一変するかも
人事マネジメント上の「制度」部分の手直しも、この「目的」との整合性次第で、効果の高さ低さが変わってくるのではなかろうか。
前回触れた「本気」で取り組む異才活用と併せ、手間はかかるし、容易ではない。しかし、将来にわたる「ヒト」を通じた競合優位性作りを考える経営者の方々にはぜひご一考いただけないかと思う。
こういったことに取り組む企業が増えることで、日本の社会が全体として、デジタル革命の嵐を乗り切り、より(経済的にも精神的にも)豊かになる可能性が高まると信じている。
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