異質な自分を直そうとして、精神を病んでしまう子供も

 ただ、前述の本によれば、こういう症状、言い換えれば、異質さをなんとか直そうとするあまり、本人が二次障害的な精神症状を起こすまで、責めてしまう例も数多いらしい。

 まったく別の話だが、海外、特に米国や欧州の一部の国で友人や仕事仲間と接していると、「この人は相当変わっているな、日本だと到底受け入れられないだろうな」と思わされる人たちが、かなりの数、存在する。おそらくは、日本社会よりも「周囲に合わせること、“普通”であることを強いる」度合い、「暗黙の社会ルールに従う」ことを求める度合いが低いのではないだろうかと思える。帰国子女の人たちからも、同様の話は何度も聞かされた。

 医学の専門家ではないので、断言することはできないが、発達障害にも軽度から重度なものがあり、その中で比較的軽度なものが、日本社会の中では「相当変わっている」「異質な」ものとして扱われることが多いように思える。「同調圧力」という言葉があるが、知らず知らずのうちに、日本の社会や組織の中に、ルールや規則通りに動けない人に対して、厳しく評価する傾向があるのは間違いないだろう。典型的なのは、人事評価の中で「協調性がない」とされるとマイナス評価されることが多いというあたりだ。

「異才を伸ばす」というプロジェクト

 さて、二冊目の『異才発見!』では、東大の先端研で、こういう少し異質なところがある子供たちの中で、磨けば光る才能があり、それを自分自身も伸ばしたいという志がある人たちを選んで行われている、「異才を伸ばす」というプロジェクトが紹介されている。詳しくは、ぜひ同書をお読みいただきたいが、この異質を受け入れ、さらに異才を伸ばす、ということが、そう簡単ではないということがよくわかる。

 不登校だった子供が学校に行き始めても、「そんなことが目標だったのか」と叱咤激励し、おたくのようにあることに詳しい子供に対しては「超一流はそんなものじゃない」と本物に接する機会を作る。自分で課題を自由に設定させ、その上で、具体的な行動も自分でプランさせる。その内容が良ければ、時間的、金銭的サポートは惜しまない。この繰り返しをしていく指導側の一種執拗なまでのこだわりと努力があってこそ、異才が輝く、というのだ。