(写真=三木光/アフロ)

 今年も、「日本人の行動様式について、歴史や他国との比較を通して学ぶ」勉強会に参加してきた。政治思想史の苅部直先生、美術史・芸術論の高階秀爾先生、経済史・経済発展論の岡崎哲二先生、日中比較文化研究の王敏先生、といった碩学に、様々な観点から教えていただくという贅沢な機会を堪能させていただいた。

 その場での今年のメインテーマの一つは、江戸から明治期の統治システム・経済構造。当然ながら明治維新とそれを生み出したものについて、かなりの時間をさいて議論がなされた。

 色々とご教示いただきながら考えていたのは、明治維新のような大きなシステム変更・構造変化をどうやってこれから起こしていくのか、ということ。

 人口減少、東アジアの地政学的変動、膨大な国の財政赤字、などなど、冷静に考えれば、これまでの日本を形作る仕組みを相当程度、変化・進化させねばならない理由は山積している。だが、残念ながら意思を持って、大きな変化を成し遂げよう、という社会的な合意は見当たらない。

明治維新期の「心理状態」に学べ

 気がついたら手遅れ、という事態に陥らないために何ができるのか、ということを明治維新とその前後について学びながら考えていたのだ。

 さて、これを考えていく上では、やはり明治維新を起こしたもの、成功させたものが、何か、ということがスタートラインになる。外圧、すなわちペリー来航を中心とした列強からの開国圧力の中で、尊王攘夷運動が起こり、大政奉還・王政復古に繋がった、というのが一般的な理解であり、私自身も少なからずそう思い込んでいる部分があった。

 しかし、今回の勉強会を通じて改めて気づかされたのは、外圧だけで、一種の革命である維新が貫徹され、その後の日本の急速な近代化に繋がることはなかったということだ。

「内圧」でマグマがたまっていた

 その要因の第一は、外圧だけでなく、江戸終盤には変化を求める内圧がマグマのように溜まっていたことがある。

 それを端的に示すのが、廃藩置県の成功だという。中国古来から見られる封建制では、各地域の統治を任される王が封じられ、その地位は代々継承されていく。江戸日本においても、一定の例外(お取り潰し、国替え)はあるものの、封建大名がそれぞれの領地を統治・経営することが基本的な枠組みであった。これを、そのシステムの中で官僚層として支えてきた武士自身が廃し、さらには自らの特権階級としての地位も無くしてしまう。

 これに対して、大名たちや大部分の武士からの大きな抵抗や反革命の動きが強まることもなく、ほぼすんなりと実行されてしまうというのは、言われてみれば不思議なことだ。(あくまで私自身の理解ではあるが)苅部先生のお話では、この背景には、封建制度に対する多くの武士の不満、そして領地経営について一種の限界感を感じていた大名たち、という「内的要因」があったということだ。