前回のコラム「楽観的なリーダーは組織を強くする」で、心理学の研究結果とそこから感じたことをご紹介させていただいたところ、予想以上に多くの方から反応をいただいた。だから、というわけでもないのだが、今回も「心理学とビジネス」という切り口で少し考えてみたい。
前回の話は、はしょってまとめると、以下のような内容だ。
人間は、明るく、楽観的な心理状態にあると、広い視野で大きくものごとをとらえることができる。これは、イノベーションや急激な変化への対応のためには優位に働く状態だ。広い視野で、さまざまな道具・資源の中から、有用なものを選び・組み合わせることが、課題に対して創造的な解を得る助けになるからだ。
一方、経験則として、チーム自体がクリエイティビティや変化対応力を高める上では、リーダーが明るく、楽観的であることがプラスに働く、ということが言われてきており、これとも符合する部分がある。
右脳と左脳のスパーリング
さて、創造的かつ実際にインパクトをもたらす解を導き出すためには、クリエイティビティに加えて、思考のスピードが必要だと感じてきていた。
初めての著書『戦略「脳」を鍛える』(東洋経済新報社)にも書いたことだが、自分の考えついたアイデアをチェックし、不適切な部分を改善したり、取り除いたりする、これを猛スピードで行う。感覚的な表現を許していただければ、右脳と左脳でスパーリングを行う、あるいは、何倍速もの速さで「ひとり突っ込み」を行う、という感じになるのだが、これができると、ユニークな解をもたらす可能性が高まる。
コンサルティングの現場では、こういうことを何度も体験してきた。ぶっ飛んだアイデアを実行可能性から検証する、効果の高そうな打ち手を本当にそうなのか違った角度から見てみる。あるいは、最初に出た仮説を、二次仮説、三次仮説に磨き込んでいって、より魅力的なものに仕立て上げる。
直感と客観の組み合わせ、マクロとミクロの組み合わせ、発散と収束の組み合わせ。この一見相反するような要素を両方組み合わせて思考していく能力がないと、どこかで聞いたような差別性のない戦略しか立てられないのだ。
最初に何か解を思いつくスピードだけでなく、それをより良いもの、意味のあるものにしていくプロセスも含めたスピードが重要だという考え方である。
リスクを指摘したカーネマン論文
この「最初に何か解を思いつく」部分のスピードアップには、一定のリスク、具体的にはシステマティックに判断を誤るリスクが存在する、と指摘したのが、行動経済学の基礎を作り、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマンだ。
Judgment under Uncertainty:Heuristics and Biases(Science, VOL18,1974)(不確実性下における判断:ヒューリスティクスとバイアス)という有名な論文の中で、カーネマンは以下のように述べている(引用した日本語訳は、基本的に『ファスト&スロー』というカーネマンの本の日本語版(早川書房、村井章子訳)の巻末に付録として掲載された同論文の翻訳に従った)。
―不確実な将来に関する多くの意思決定(たとえば、ビジネスにおける投資判断や戦略オプションの選択もこれに含まれる)は、「不確実な事象が起きる可能性を判断した上で」なされている。
―人間は、不確実な事象の「確率の評価や価値見積もりといった複雑な作業を単純な判断作業に置き換える」ことで、この意思決定をスピーディに行っている。この認知機能をヒューリスティクスという。
―しかし、このヒューリスティクスには、バイアスがあり、間違った判断につながることがある。たとえば、遠くにある物体はぼんやり見え、近くにある物体はくっきりと見えるのが通常なので、霧が出ていたりして「視界が悪くて輪郭がはっきり見えないときには、距離を少なめに見積もりやすい」
―不確実な事象がおこる可能性についても、同様にシステマティックなバイアスがある。
意訳すれば、過去の経験などを参考に、解をスピーディに導くという脳の働きには、判断のスピードを上げたり、脳の容量への負荷を下げたりするメリットがあるものの、不確実な事象については、ある方向に偏った判断をしがちな部分があるということだろう。
この論文の中で、カーネマンは次のような人物描写からその職業を推定する例をあげている。
―「スティーブはとても内気で引っ込み思案だ。いつも親切ではあるが、基本的に他人には関心がなく、現実の世界にも興味がないらしい。もの静かでやさしく、秩序や整理整頓を好み、こまかいことにこだわる」
本来は、サンプル人口の中で、与えられる選択肢、たとえば「農夫、セールスマン、パイロット、図書館司書、医師」のそれぞれが何人ずついるか、にしたがって、彼の職業の推定を行うべきなのだが、ヒューリスティクスに従うと、今までにできあがっているステレオタイプに引っ張られて、「図書館司書」である確率が高いと答えてしまう。
バイアスを減らす仕組みや癖を入れる
繰り返しになるが、ヒューリスティクスにしたがうと「まず答えを得る」プロセスのスピードは高まるというメリットがある。しかし、バイアスをチェックし、「本当にそうか」「違った解はないか」と分析し、自らを批判するプロセスなしでは、ヒューリスティクス頼りの思考法は、間違えてしまう危険性が高い。
前述した「思考のスパーリング」あるいは「ひとり突っ込み」のプロセスが必要であり、さらにはその部分まで含めたトータルのスピードアップが重要だということになる。
経営の現場では、成功したリーダーほど、過去の経験にしたがい、スピーディに解を得て、スピーディに判断を下していく例が多い。皆さんの周囲にも実例はあるだろうし、ほとんどの人が自分自身の経験値の蓄積が判断のスピードアップにつながるという体験をしているだろう。
しかし、カーネマンが言うように、これがヒューリスティクス頼りの思考プロセスに留まっていては、間違う可能性が高い。特に、将来の不確実性が高ければ高いほど、経験頼りの意思決定のリスクは高まっていく。
こういった失敗を防ぐには、まずはカーネマンが指摘し、さらに多くの心理学者、行動経済学者が研究してきた「バイアス」について知ることが重要だ。よく知られている「今日、100円もらえる」のと「明日、105円もらえる」ことの比較で、今日もらう方を選んでしまう。あるいは、損失は心理的に小さく見積もり、利得は大きく見積もる、という類のものだ。
さらに、仮説とその批判といった多層性のあるプロセスを意識して行い、自らの思考パターンの中に、バイアスを減らす仕組みや癖を入れ込むことも有効だろう。
もう一歩踏み込めば、チームの中で、お互いの思考バイアスについて語り合い、意思決定の場で、補い合うような異なったタイプの人たちをチーム内に入れ込んでいくことも大事だと思う。
今回は、ビジネスの世界において経験則で言われてきたことが、心理学の現場で実験され証明されてきているという例の第2弾だったのだが、どう思われただろうか。
私自身は、自分が思考する際のバイアスについて、もう一度見直してみようと思った次第だが、何より論文を読むことが面白かった。冒頭にご紹介した「ファスト&スロー」というカーネマンの著書は、その後のこの領域の研究の進化も踏まえていて、ぜひお勧めしたい本のひとつだ。
楽しみながら、異分野の知識を獲得し、自分の世界で活かしていく。こういうのが、いわば現代版の「教養」作りのつぼのような気がしている。
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