(前回から読む)
ストック市場や高価格帯市場が活性化していない
『
奇想の系譜』(辻 惟雄 著)。絵画史の中で長く傍系とされてきた岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳らの作品を、「奇想」という言葉で定義して「主流」の中での前衛と再評価した。
さて、日本文化のビジネス化、産業化についてのコラム第2回。前回のコラム(「日本のアートの未来を開く『3つのポイント』」)では、村上隆さんの「スーパーフラット(SUPERFLAT)」や、辻惟夫先生の『奇想の系譜』といった「ストーリー」の重要性を述べ、そしてそれが需給とあわさって(価値や価格の)「ものさし」となっていく、という話をさせていただいた。
今回は、「ストックを動かす」ことの重要性について触れてみたい。
前回コラムの冒頭に述べたように、(調査によって、少しずつ違うのだが)世界の美術品市場の過半を、米国、中国が占めているのは衆目の一致するところ。これに続く英国も含めた大規模な市場に共通する特徴、それは美術品のセカンダリーマーケットが非常に大きいことである。
(新しい作品をアーチストやその代理人である画商から購入するのが、プライマリーマーケット。その後、別の所有者に移動する「既存の作品市場」がセカンダリーマーケットと呼ばれる。)
言い換えれば、既存ストックが流通する市場の規模が大きいということになる。しかも、その中で、主として富裕層や一流のミュージアム、あるいは大企業が購入する高価格帯セグメントが、活発に動いている。
一方で、残念ながら、日本の現状は、ストック市場、そして高価格帯市場が活性化しているとはいいがたい。
有史以来あまたの美術品が制作され、美術館の数も多い日本
本来は、有史以来、あまたの美術品が制作されてきた我が国、しかも1000を超える膨大な数の美術館があり、その収蔵品も含めて、膨大なストックが存在する我が国では、ストック市場が世界上位の規模になっていても不思議ではない。
(そもそも、同時代のコンテンポラリー作品のみのプライマリー市場よりも、有史以来、制作されてきた美術品が対象となり、かつ複数回の売買があり得るセカンダリー市場の方が、圧倒的に大きくなるのが自然なはず。)
また、依然世界第3位の経済規模、第2位の個人金融資産、第3位の株式市場時価総額、を有する日本なのだから、高価格帯マーケットももっと動いてよいはずだ。
この上位国との違いは、見方によってはチャンスだとも言える。やりようによっては、このあたりに、日本文化市場を大きく伸ばすことができる余地が残されているのだから。
日本美術のストックを買い取る公的ファンドを作る
では、ストックを動かしていくためには、どんな手立てがあるだろう。
第一に、ストックを市場に出すインセンティブを作ること。具体的には、団塊の世代より上の方々の所有するストック、膨大な数がある国内の美術館・博物館の保有するストック、バブル期以降企業が保有し続けているストック。この3つが市場に出てきやすくすることだ。しかも、貴重な日本美術がすべて海外に流出しないようにできれば、なお良い。
このために、公的な器、たとえば時限的に10年間、日本美術のストックを買い取る公的ファンドを作る。このファンドは、美術品の真贋を含む目利き機能を持ち、国内に残すべきものと、グローバル市場で流通させるものを仕分ける。このファンドに売却した場合、個人の相続税、あるいは企業の所得税上、一定の優遇措置を与えることができるようにすれば、相応のインセンティブになるはずだ。
過去には相続税の対象として捕捉されたくないお金を美術品に変えることが、かなり行われていたということも聞く。これらをきちんと申告し、その上で公的ファンドに売却することが、税メリットを生むようにするのは効きそうな気がする。また、企業保有の美術品についても、必ずしも買った美術品の活用がなされているケースばかりではない。しかもバブル期に買ったものを今売却すると売却損が出るようなケースもかなりありそうだ。このあたりをうまく税的に処理できるのであれば、保管コストや将来の修復コストも考えると、売却しようという向きもあるだろう。
一部の収蔵品を、やる気と高い能力を持つ施設に移す
美術館・博物館のストックについては、少し話がややこしくなる。そもそも、高度成長期に我も我もと、日本の津々浦々で美術館・博物館ができ、その時期には税収も豊かだったせいか、バブル期を中心にかなりのものが国内外で収集された。しかし、その後、入館者減、予算減に見舞われ、収蔵品の修復が十分に行われなかったり、一定程度は必要なストックの入れ替えも、ままならないケースが見受けられる。もちろん、アップダウンの中、地域に縁のある作家にフォーカスしたり、質の高い企画展で評価を受けたりする美術館も存在するのだが、相当、二極化が進んでいる。
一部については、複数の美術館・博物館をコンセッションのような形で、民間に委託し、その上で、ある程度改廃も考えることが必要かもしれない。こういった施策の背中を押しつつ、一部の施設の収蔵品を、やる気と高い能力を有する施設に移していく、といったことを考え、前出のようなファンド等を活用する、かなりしたたかな政策が求められていると思うのだ。
日本の各地には合計1000を超える数の美術館がある。写真は奈良美智の作品「あおもり犬」で有名な青森県立美術館。 (写真:PIXTA)
どのようにして富裕層に「日本文化を買う気」にさせるか
第二に、買い手を増やす複数の手立てを、同時多発的に打つことだ。
まずは、高価格帯の文化消費をする国内外の富裕層を、どうストックとしての「日本文化を買う気」にさせるか。
以前、ニセコについて触れたことがあったが(2017年5月29日配信「新陳代謝:新しい経済構造作りの要諦」参照)、同地で高額のコンドミニアムが海外富裕層に人気になった背景には、
・現地に根付いたオーストラリアをはじめとする外国人観光事業者や海外デベロッパーの存在
・欧米富裕層の間でのニセコについての口コミや、彼らが見るメディアでのニセコの記事・番組
がある。
みずからのビジネスチャンスとして、あるいはみずからの消費対象として、グローバルなリゾート地を複数比較できる人たちが、グローバル視点でのニセコの価値をマーケティングしている、と言い換えてもよいだろう。
美術や工芸品、あるいはそれ以外の文化ストックについて、これまでも観光同様に「海外の目」ということが言われてきているが、本当に大事なのは、「高価格のもの」を海外のストックとも比較できる存在であり、彼ら彼女らがみずからマーケティングしてくれることだ。
海外のキュレーターや研究者を継続的に招く
そのためには、
・海外美術館のキュレーター、海外大学のアジア文化研究者等を、定期的、継続的に日本に招くプログラム作り
・「ストーリー」「ものさし」の話と同様に、高いレベルの批評的文化を国内で育成するための研究者助成
が必要だ。
海外のキュレーターや研究者を日本に定期的・継続的に招くことも必要だ。(写真:hypnocreative/123RF)※写真はイメージです
さらに、国内外の富裕層にとっては、超高額の旅行消費やブランド消費と、美術品等の文化消費が同列の消費機会だということを念頭におきつつ、ストックは消費としての意味と同時に「資産」としての意味を持つことに、もっとフォーカスした施策が重要となる。
具体的には、国内富裕層向けには、相続税上の扱いの明確化(とできれば優遇税制)が重要だろう。海外の富裕層にとっては、購入・保管・修復・納税を含む管理・売却、のすべてのステップが容易になることが極めて大事なので、グローバルなオークションプレーヤー、プライベートバンカーと協力し、国内にそういったプラットフォーム事業者を育成することがカギとなるのではなかろうか。
縷々申し上げてきたが、個人的には、「日本の文化ストックは、本来あるべき価値評価を与えられていない」ということに対して、本当に口惜しい。文化芸術基本法ができ、クールジャパンについても議員立法の動きがあると聞く。この機会に、ぜひ本来の価値を取り戻し、それが日本の経済にもプラスになるような市場活動となることを強く願っている次第だ。
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