いくつもの地方の蔵を訪ねてお話をうかがってわかってきたのは、日本酒の善し悪しのものさしを「お上がつくってきた」歴史とその弊害だ。酒税を一定以上徴収できるということが政府にとって重要だったこともあり、お酒作りには、国税庁とその出先機関が大きく関わってきた。

 毎年行われる鑑評会は、いまでも大蔵省醸造試験所をルーツにもつ独立行政法人酒類総合研究所と日本酒造組合中央会が全国鑑評会を、各地域の国税局が地方鑑評会を実施している。これに酒どころ各県の醸造試験場なども関わり、醸造技術の開発普及、優良酵母の抽出・頒布といった一定品質の酒の生産量拡大策が取られてきたわけだ。

豊かな食文化を定着させるために必要なこと

 こういったお上主導の底上げ活動は、当然過去には大きな意味を持っていたのだけれど、現在のように「多様な魅力ある日本酒を、海外も含めて、高い付加価値をつけて販売する」ことが求められている時代には、マッチしないのではないかと思えてならない。

 特に、「ものさし」があまりにも一タイプに偏ること、その「ものさし」が世界での日本酒需要の大幅拡大に水を差しかねないということは、大きな課題だと思う。前述のように、極論すれば、いまのお上のものさしは「ボジョレーヌーボー」的なお酒を中心に据える働きをしている。

 ボジョレーヌーボーがワイン「ブーム」の火つけ役として大きな役割を果たしたことは事実だし、それは実際に価値を生んだ。しかし、世界最大のボジョレーヌーボー輸入国とされる日本でも、その需要はピークの6割とも半分ともいわれるのが現状。一方、ブームではなくワイン「文化」の定着とともに、全体の消費額は伸びている。多様なワイン、特に食中酒として楽しめるさまざまなタイプのワインが、楽しまれるようになってきたということだろう。

 日本酒についても、お燗文化を含めた豊かな日本酒「文化」を我々自身が楽しみ、それを世界に広げていかなくては、持続的な需要増とそれに支えられた技術の伝承・革新、投資と人作りの継続、が成り立つはずはない。

 そろそろ、過去の役割を終えたお上主導の鑑評会至上主義から脱却し、民主導の評価・評論が日本酒文化を引っ張るタイミングではないかと思う。

 一愛好家として切に願うのは、日本酒を楽しむ消費者・作り手両方が、多様なタイプの日本酒を食前、食中、食後に楽しむ文化の盛り上がりであり、食における山本益博さんのような「ものさしをきちんと持つ」評論家の登場だ。本当に期待しています。