全5246文字

彼らが「自己責任」という言葉を好む理由

 とどのつまり、トップ5からギリギリ漏れた6位の「働き方改革法と年収200万円非正規の暗い未来」(7月10日公開 コメント数62件)でも指摘したように、一部の、本当に一部の人たちだけにしか「光」は差していない。

 「一部」の、いわゆる会社という組織だけが持つ「褒美」にありつける人たち以外は、「自己責任」という言葉で切り捨てられる社会に向かっている。そんなことを幾度となく感じた一年でもあった。

 一部の人とは日経連(現経団連)が1995年に打ち出した「新時代の日本的経営」における長期備蓄能力活用型グループの対象者(下表)。正社員という特権階級を手に入れたサラリーマン社会のエリート中のエリートだけが、長時間労働から免れ、有給休暇を消化し、ボーナスをもらい、昇進し、昇給し、退職金や年金などの面でも優遇される。

 とはいえ、自然災害が多発し、国際情勢がこれだけ不安定な世の中では会社がいつどうなるかわからない。ある日突然つぶれるかもしれないし、大規模なリストラで自分が切られる可能性だってある。

 それでも「自分だけは別」と考える人は一定数、いや、かなりの比率で存在する。そして彼らは「自分だけは別」という根拠のない万能感を醸し出しているのである。

 「病気になったら人生設計が狂うかもしれないんですよ」だの、「追い出し部屋に行かされるのも、ただの運かもしれないんですよ」と忠告したところで、リアリティーが持てない。根拠のない万能感は混とんとした未来への不安感を解消するための“自己暗示”。だから彼らは、一層、その感覚にすがるのだ。

 また、組織内の競争に勝ち、収入や役職、裁量の権限や人事権などの“外的な力”を手に入れたことで、いつしかその外的な力だけを偏重するようになり、誠実さや勇気、謙虚さや忍耐といった人格の土台が脆弱化し、他者への共感力も失せる(「関連会社渡り歩いた「リストラ請負人」の末路」11月20日公開 コメント数43件)。

 フィールドワークのインタビューや社会の動きなどから、「共感」や「うしろめたさ」という感情が希薄になったと感じていたが、コラムへのコメントでも同じだった。「自己責任」という言葉を使えば、共感など不要。数年前から多用されるようになったこの言葉こそが、2018年の空気感を象徴していたのだ。