「暴力を伴わないいじめ」の原点

 冒頭で紹介した記事は、12月4日に行われた「第3回いじめ問題国際シンポジウム」で発表されたことを記事にしたものと思われる(記事には書かれていない)。

 この国際シンポジウムは、1996年から始まり10年おきに開催。主催は国立教育政策研究所で、3回目となった今回のシンポジウムには、スウェーデン、オーストラリア、アメリカの教育研究者らが参加し、日本の特異性の分析結果の報告、日本及びオーストラリアのいじめの未然防止に関する取り組みの紹介、さらには各国の今後のいじめ対策の在り方についての討論が行われた。

 今回、日本とスウェーデンの比較を行ったのは、これまでの調査結果およびシンポジウムでのパネルディスカッションを受けてのことだった。

 まず、96年の1回目で、いじめが日本だけのものではなく、多くの国が共通に抱える問題で、いじめの実態に違いがある可能性が明らかになる。

 と同時に、日本はかなり早い段階から問題に取り組んでおり、“いじめ研究先進国”であることがわかった。日本ではいじめを「個人の問題としてだけではなく、社会の問題」と捉えていたが、海外では「個人の問題」とし、「いじめをする子をどう教育するか?」という視点だった。

 その後、行われたのが日本、オーストラリア、カナダ、韓国の4カ国での国際比較調査だ。この調査は1年半にわたる3回の追跡調査で、共通の質問票を用いて実施した。

 2006年2月の第2回シンポジウムでは、4カ国の結果を発表。この際、日本は「暴力を伴ういじめ」が他国よりも少ないが、「暴力を伴わないいじめ」が多いことが明らかになる。

 そこで、

「欧米の中でもスウェーデンは、暴力が少ないよね? スウェーデンと共同で調査を行っていじめの実態把握をしてみましょうよ。そうすれば日本の子どもたちのいじめに、仲間外れや、無視、陰口が多い社会的背景がわかるかもしれない」と考え2国間比較を行い、第3回いじめ国際シンポジウムが開催されたというわけ。

 つまり、シンポジウムの目的は「多いとか少ない」の比較ではなく、その背後に潜む社会的背景の考察である。

 その考察の対象は、

「仲間外れなどを人権問題ととらえ、議論に大人も巻き込み、法律でいじめをやめさせるような対策を長年続けてきた」というスウェーデンでの取り組みや、

「校内暴力を経験した日本は暴力には厳しいが、仲間外れや陰口などは大人もしているから大丈夫と子どもが感じているのではないか」という推察だった。

 そして、推察を裏付ける実例として、「原発事故に遭った子に対する、『賠償金をもらっているだろう』といったいじめ」を取り上げたのだ。

 個人的な意見から述べると、その通りだと思う。いつの時代も、子ども世界は大人社会の縮図だし、子どもは大人が考える以上に、オトナたちの言動を観察し、真似る。

 母親が「先生の悪口」ばかり言う家庭の子どもは、先生をバカにする。母親が「○○さんの奥さんって、△△なのよ~」と愚痴り、それを聞いていた父親が「○○さんのところは、××だからな」とバカにするやりとりを見ていた子どもは、両親と同じように○○君をバカにする。

 オトナたちは子どものいじめが発覚する度に、学校や先生の対応ばかりを批判するけど、学校にいるオトナも、家庭にいるオトナも、テレビの中のオトナも、みんなみんな子どもたちの“お手本”なのだ。