「日本では「仲間外れ」「無視」「陰口」といった暴力を伴わないいじめの割合が高い」
子どものいじめ問題に関する報道が後を絶たない中、先日、朝日新聞でこんな内容の記事が報じられた。
おおまかには以下のとおりだ(抜粋し要約)。
日本では「仲間外れ」「無視」「陰口」といった暴力を伴わないいじめの割合が高い――。国立教育政策研究所(東京)などが、暴力犯罪が少ないスウェーデンと比較した調査から、こんな傾向がわかった。同研究所は、日本では仲間外れなどを大人が容認する空気があり、子どもに伝わっている可能性があるとみている。
「軽くぶつかる・たたく・蹴る」の暴力を伴ういじめの被害について、小6、中2の男女いずれもスウェーデンが日本を上回った。特に小6男子ではスウェーデン65.6%に対し、日本は32.8%だった(「今の学期で1、2回」から「週に数回」までの4段階を合わせた経験率)。
ところが、暴力を伴わない「仲間外れ・無視・陰口」の被害経験率は小6、中2の男女いずれも日本がスウェーデンより高かった。小6女子では4段階を合わせた割合が、スウェーデンで21.4%だったのに対し、日本では倍以上の43.4%。小6男子も同じ傾向だった。
例のごとく、報じられるや否やネットでは「子ども言動はいつの時代も大人社会の縮図」という意見が出る一方で、
・なんでもかんでも海外と比較するな
・本当にやったのか、こんな調査?
・大人もしてるから……と、するのはおかしい
・暴力より無視のほうがいいじゃないか
……etc. etc
などの批判が相次いだ。
これらの声は、この記事の中で紹介されている国立教育政策研究所の研究官のコメント、
「仲間外れや陰口などは大人もしているから大丈夫と子どもが感じているのではないか。原発事故に遭った子を『賠償金をもらっているだろう』といじめるのが一例だ」
という一文に噛み付いたのだ。
この発言の真意についてはのちほど詳しく書くが、「仲間外れや陰口」は大人社会に実際に存在する。少なくとも私は根も葉もないウワサを立てられたり、陰口を言われたりした経験がある。自分だけ忘年会などに声をかけてもらえなかったこともあった。
被害妄想? ふむ。私の場合はその可能性もある。
ただ、これまでインタビュー調査に協力してくれた「パワハラ被害者」の方たちのほとんどは、ソレの被害者だった。陰湿であるがゆえに、肉体的な暴力以上に本人たちを苦しめていた。どれもこれもかなり“幼稚ないじめ”だった。
「いじめ」を「パワハラ」という言葉に置き換えてみて欲しい。
いじめで学校に行けなくなる子ども、パワハラで会社に行けなくなる大人。
どちらも、誰もが被害者になるリスクもあれば、加害者になる可能性もある、深刻な社会問題である。
そこで今回は、件の調査結果を基に「いじめとパワハラ」についてアレコレ考えます。
「暴力を伴わないいじめ」の原点
冒頭で紹介した記事は、12月4日に行われた「第3回いじめ問題国際シンポジウム」で発表されたことを記事にしたものと思われる(記事には書かれていない)。
この国際シンポジウムは、1996年から始まり10年おきに開催。主催は国立教育政策研究所で、3回目となった今回のシンポジウムには、スウェーデン、オーストラリア、アメリカの教育研究者らが参加し、日本の特異性の分析結果の報告、日本及びオーストラリアのいじめの未然防止に関する取り組みの紹介、さらには各国の今後のいじめ対策の在り方についての討論が行われた。
今回、日本とスウェーデンの比較を行ったのは、これまでの調査結果およびシンポジウムでのパネルディスカッションを受けてのことだった。
まず、96年の1回目で、いじめが日本だけのものではなく、多くの国が共通に抱える問題で、いじめの実態に違いがある可能性が明らかになる。
と同時に、日本はかなり早い段階から問題に取り組んでおり、“いじめ研究先進国”であることがわかった。日本ではいじめを「個人の問題としてだけではなく、社会の問題」と捉えていたが、海外では「個人の問題」とし、「いじめをする子をどう教育するか?」という視点だった。
その後、行われたのが日本、オーストラリア、カナダ、韓国の4カ国での国際比較調査だ。この調査は1年半にわたる3回の追跡調査で、共通の質問票を用いて実施した。
2006年2月の第2回シンポジウムでは、4カ国の結果を発表。この際、日本は「暴力を伴ういじめ」が他国よりも少ないが、「暴力を伴わないいじめ」が多いことが明らかになる。
そこで、
「欧米の中でもスウェーデンは、暴力が少ないよね? スウェーデンと共同で調査を行っていじめの実態把握をしてみましょうよ。そうすれば日本の子どもたちのいじめに、仲間外れや、無視、陰口が多い社会的背景がわかるかもしれない」と考え2国間比較を行い、第3回いじめ国際シンポジウムが開催されたというわけ。
つまり、シンポジウムの目的は「多いとか少ない」の比較ではなく、その背後に潜む社会的背景の考察である。
その考察の対象は、
「仲間外れなどを人権問題ととらえ、議論に大人も巻き込み、法律でいじめをやめさせるような対策を長年続けてきた」というスウェーデンでの取り組みや、
「校内暴力を経験した日本は暴力には厳しいが、仲間外れや陰口などは大人もしているから大丈夫と子どもが感じているのではないか」という推察だった。
そして、推察を裏付ける実例として、「原発事故に遭った子に対する、『賠償金をもらっているだろう』といったいじめ」を取り上げたのだ。
個人的な意見から述べると、その通りだと思う。いつの時代も、子ども世界は大人社会の縮図だし、子どもは大人が考える以上に、オトナたちの言動を観察し、真似る。
母親が「先生の悪口」ばかり言う家庭の子どもは、先生をバカにする。母親が「○○さんの奥さんって、△△なのよ~」と愚痴り、それを聞いていた父親が「○○さんのところは、××だからな」とバカにするやりとりを見ていた子どもは、両親と同じように○○君をバカにする。
オトナたちは子どものいじめが発覚する度に、学校や先生の対応ばかりを批判するけど、学校にいるオトナも、家庭にいるオトナも、テレビの中のオトナも、みんなみんな子どもたちの“お手本”なのだ。
他者を攻撃するメカニズム
「人は、なぜ、他者を攻撃するのか?」
この問いは、古くから、心理学者や社会学者たちの間で議論されてきた。
その中のひとりである心理学者のJ.T.テダスキらは、「攻撃は対処行動の1つ」と捉え、
「人間は何らか恐怖を感じたり、危機的状況に遭遇したりすると、相手を攻撃したり強制的に従わせたりするなどの策を講じることで、自分の社会的地位や社会的アイデンティティーを主張する」
という社会的機能説を唱えた。
また、同じく心理学者のアルバート・バンデューラは、
「攻撃は社会の中で学習し、身につけ、維持された社会行動である」
とし、これは社会的学習説と呼ばれている。
自分がいつリストラされるかわからない恐怖、長時間労働、賃金カットなど、私たちを取り巻く社会は、いくつもの「危機」が存在する。
そういったストレスの多い状況下では、誰もが、いつ、なんどき、いじめる側に回ってもおかしくない。
また、いじめにはある種の快楽が伴うため、一度でも攻撃するとそれが癖になり、
恐怖→攻撃(いじめ)→快感→攻撃→快感
といった“魔のいじめスパイラル”に取り込まれてしまうかもしれない。
それを見ている子どもが、攻撃を学習し、それが子どもを追いつめる。信じたくないけど、先の国立教育政策研究所の研究官の仮説を裏付ける論拠が、十分過ぎるほど存在しているのだ。
実は国立教育政策研究所は他にも調査を継続的に行っているのだが、ここでも気になる結果が出ているので紹介する。
いじめを目撃したときの対応(「みてみないふりをしますか?(=傍観者)」と「止めに入りますか?(=仲裁者)」)を子どもに尋ね、イギリス、オランダと日本の3カ国で比較したところ、次のような傾向が確かめられた(原典はこちら)。
(出所:国立教育政策研究所「子供を問題行動に向かわせないために~いじめに関する追跡調査と国際比較を踏まえて~」)
ご覧の通り、日本では、年齢とともに「仲裁者」の比率が下がり続け、中学3年ではわずか20%。一方、イギリスは、年齢とともに比率は下がるものの中学1年で下げ止まり、中学3年では約45%に反転する。
「傍観者」は、日本は年齢とともに上がり続け、中学3年では約60%に達する。一方のイギリスとオランダは、小学生から中学生に向けてやはり上昇するものの、中学2・3年において一転して低下。イギリスの中学3年生の傍観者比率は約40%だ。
中学生以降の子どもたちの言動には「社会の影響」いや、正確には「オトナ」が与える影響が大きいと考えられており、この仮説どおり解釈すれば、日本のオトナたちはいじめをみても「みてみないふり」をし、「仲裁もしない」傾向が高いという、実に残念な結果が得られているのである。
「四層構造」で追い詰める日本のいじめ
確かに、これはあくまでも「大人社会が子ども社会に伝染する」という仮説に基づいた考え方であるとともに、ひとつの調査結果に過ぎない。
しかしながら、1980年代に欧米に先駆けて始まった日本のいじめ研究では「四層構造」なるものがすでに確認されていて、当時から「大人も一緒」との指摘が相次いだ。
四層とは、いじめられる人、いじめる人、はやしたてる観衆、無関心な傍観者の4つの役割を示す。欧米のいじめでは強いものが弱いものを攻撃するペッキングオーダー(pecking order)タイプが多いのに対し、日本で発生するいじめは四種類の人間で構成されることが多かった。
さわらぬ神にたたりなし。いじめを目撃しても「自分には関係ない」と放置したり、遠くから乾いた笑いを浮かべながら見守ったり……。確かにこういった態度を取るオトナは多い。ときにはこういった態度が、「オトナ」と評されることもあるように思う。
いずれにせよ、四層構造では強者からの攻撃だけでなく、観衆や傍観者からの無視や仲間外れといった、集団内の人間関係からの除外を図るいじめが多発しやすく、いじめられている当事者は「自分が悪いのでは?」と自分を責める傾向が強まることが確認されている。
これまで私のインタビューに協力してくれた方の中には、上司からパワハラを受けていた人が何人もいた。そして、多くの人たちが「パワハラを受けているうちに、“自分が悪いのでは?”という気持ちに苛まれた」と心情を明かしてくれた。
ある人は、パワハラを先輩に相談したところ「まぁ、がんばれよ」と励まされ、
ある人は、同僚に「ああいう人(上司)だから気にするな」と慰められ、
ある人は、人事部に「あなたにも何か問題はありませんか?」と内省を求められた。
彼らはその「一言」に傷つき、自分が悪いのか?と責めた。
上司の理不尽な態度に戸惑い、苦しみ、勇気を出して相談したのに
「相談しなきゃよかった」と後悔し、
「他の人たちも自分をダメな人間だと思っている」と感じ、
とてつもない疎外感に襲われたそうだ。
もちろん誰だって、自分がターゲットにはなりたくないし、関わりたくないという気持ちが勝ることもあるだろう。
しかしながら、そんな見て見ぬふりをする同僚たちの行動が、“彼ら”をさらに追い詰める。
会社という組織では、能力や会社への貢献度が、必ずしも正当に評価されるわけではない。また、膨大な業務に襲われ、時間的余裕もなく、自分のことで身も心もヘトヘトになり、他者を受け止める余裕などもてなくなることだってある。
そんなとき、つい傍観者になってしまうこともあるかもしれない。感情が理性を凌駕する、とでも言おうか。しかしながら、傍観者は加害者と同意だ。「排除されていない人は包括されている」とは社会学の巨匠ゲオルク・ジンメルの名言だが、オトナ社会にこの言葉ほど示唆を与えるモノはないのではあるまいか。
まずは隣に立ってみる
もっとも職場が、「誰もが元気にイキイキと働ける」雰囲気で、元気な力で溢れていれば、よほどサディスティックでない限り無用な攻撃をする人は激減するだろう。
・能力が発揮できる機会のある会社
・正当に評価してもらえる会社
・遂行不能である過剰な仕事を要求しない会社
・自由に発言できる会社
・困った時に相談できる上司や同僚がいる会社
といった、誰もが「人」としての尊厳を失わずに、やりがいをもって働ける元気な組織にはパワハラはない。
しかしながら、現実にはそういった職場は限られていて、多くの職場にはストレッサーが蔓延している。
ならばせめて、傍観者になることだけは避けなければならない。理不尽な扱いを受けている部下や同僚に気付いた時、共感する。それだけでいい。
ここでいう共感とは、隣に立つこと。その勇気を大切にするオトナが1人、また1人と増えていくこと。それがゆくゆくは子どものいじめを減らすことに繋がっていく。「またユートピアみたいなこと言いやがって」と批判されるかもしれないけど、少なくとも私はそう強く信じています。
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