「日本人が嫌がるから外国人で」という発想の安直さ

 豪州における60歳以上の日本人は、現在、約2700人。これまで日本人向けの介護サービスはなかった。が、今年6月に民間企業が政府の認可を受け、新たなサービスをスタート。若いときには英語が堪能だった人でも、認知症になって日本語しか話せなくなった人もいるため、日本の介護資格を持つスタッフや介護職員が利用者の自宅を訪問し、日本語を使って、日本食を提供するサービスを行っているそうだ。

 なんというやさしい制度なんだろう。もちろんこれらの制度は、多文化主義の歴史を持つオーストラリアだからこそできることかもしれない。

 でも、働く人も、そこで暮らす人も、サービスする人も、サービスされる人も、その国のメンバーとして共存できる社会を目指そうとする取り組みは素晴らしいし、そこで暮らす“人”に、「共存したい」という気持ちなくして機能するものではない。

 それに日本人であれ、外国人であれ、「労働」するためだけに人は存在するわけじゃない。どんな人にも生活があり、大切な家族がいる。母親であり、父親であり、子どもでもある。

 そんな当たり前が、「外国人」という接頭語が付けられた途端、忘れさられる現実が日本にはある。外国人労働者となった途端、「モノ」のように扱われてしまうのだ。

 EPAを利用して日本に来る外国人は、どんなに優秀であっても、国家試験に受からなければ、母国に帰らなくてはならない。また、仮に合格しても、家族と離ればなれの生活を強いられる。それは家族愛の強い東南アジアの方たちにとって、とてつもなくしんどいこと。家族が大切なのは世界共通でも、東南アジアの方たちのそれは、私たちの想像をはるかに超える。

 家族を日本に呼ぶことは、制度的には可能だ。だが、日本に来た家族が日本で働くことは原則として許されていない。「家族滞在」の在留資格を有する場合、就労の内容、就労場所等について個別に審査を受けた上で資格外活動の許可を得れば週28時間以内の労働は可能だが、現実にはバイトレベルの仕事しかできない。

 おそらくこういったことも原因のひとつなのだろう。血の滲むような努力をして介護福祉士の国家試験に合格しても、4人に1人が、その後は母国に帰国しているのだ。

 日本は世界で活躍するグローバル人材を育てることには積極的だ。なのに、日本にくる外国人、とりわけアジア諸国の人にはかなり冷たい。外国人を受け入れる体制を作り、外国人に寄り添うマインドを持つこともグローバル化だと思うが、違うのだろうか?

 日本人は、外国人が「お客様」のときには、日本人独特の気づかいでもてなし親切にする。ところが、その外国人が「労働者」となった途端、とんでもなく冷たくなる。

 人材が足りない現場は、大抵の場合、日本人が嫌がるほど過酷な現場である。

 「だったら外国人を!」――。その考え方自体が極めて傲慢。“鎖国”の背景に見え隠れする差別意識そのもの。私にはそうとしか思えないのである。

 コンビニに行くとスーさんがチョウさんにレジを教え、ヌネさんが必死で商品を並べ、餃子居酒屋ではカルメン君がオーダーをとり、マニエルさんがお皿をひたすら回収……とあっちこっちでアジア系の外国人が働いているわけだが、そんな彼らに、

「違うよ! セ・ブ・ン・ス・タ・ー!」
と横柄な物言いをするビジネスマンや、

「チッ。まともに計算もできないのかよ?」
と、釣り銭をむしり取るようにつかんで去っていく人がいる。

 目に見えない鎖国。この言葉を今一度、繰り返しておこう。

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