「日本語」の次には「外国籍」という越え難い壁

 同様に、介護福祉士に関しても大きな問題がある。

 最初の試験が行われた2012年、私が受け持っていた社会人向けの講座に外国人介護士研修生と同じ施設で働く女性がいた。

「EPAで日本にくる人たちは、母国では相当のエリートです。日本語も日常会話は困らない人がほとんどで、彼らは介護の研修を受けながら、日本語の勉強と国家試験の勉強をしなければならないんです。国家試験には、日本人の自分でさえ読めない漢字も使われているし、介護施設で長年働いていてもわからない問題も多い」

 彼女がこう嘆いていたのだ。

 EPA1期生の介護福祉士国家試験合格率は、36.3%。日本人を含めたこの年の全体の合格率が64.6%なので、およそ半分の合格率だった。しかも、当時、彼らは一発で合格しなければ母国に強制帰国させられてしまうルールだった(現在は2回まで受験が可能。また、2015年データによれば、インドネシア人の初回受験合格率は64.6%で、フィリピン人は同50.0%)。

 彼らの母国では、大家族制度が残っていることもあり、介護施設はほとんどなく、日本に比べれば介護職のニーズはゼロに等しい。

 つまり、日本で必死に学んだ介護の知識を生かす場が、母国にはなかなかない。エリートとされる彼女たちが夫や子どもと離れ、異国の地で血のにじむような苦労をして3・4年間もかけてせっかく学んだ知識が、受験失敗により無駄になってしまう可能性もある。

 どうしてこれほど、「壁」が高くなってしまうのか。そう考えながら、今から数年前にテレビで流れた、外国人留学生を対象にした企業合同説明会の様子を思い出した。

 そのときに抱いた私の違和感はこのコラムでも書いたが(「楽天・三木谷会長の英語にツッコむ日本人の本末転倒」)、日本人は「日本人が話す英語」にも厳しければ、日本で働く「外国人の日本語」にもかなり厳しい。その厳しさといったら、不可解極まりないほどである。

 異国の地から言葉も文化も違うこの日本という国に来て、いろいろと苦労するであろう「外国人」に、日本人でも一部読めないような「日本語」まで短期間での習得を求め、「日本語のアクセントが気になる」と採用をためらう日本人って、いったいナニ?

 日本と同じように少子高齢化で、介護や看護の人材が不足しているドイツでは、同じ国家試験でも外国人には口頭で試験で行っている。ただでさえ日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字を使う世界でも有数の難しい言語だ。

 生っ粋の日本人よりよほど丁寧で、しっかりした日本語を話す外国人に対しては「日本人じゃない」というだけで評価のハードルを上げる。まずは言葉でふるいにかけ、さらには、本人にはどうしようもない国籍という条件で仲間入りを拒む。これが、一面から見た「日本人」のリアルなのだ。