「普通にフライトする」ことの難しさ

 にも関わらず。私は4年でCAを辞めた。

 ANAはその4年間で急成長し、路線も増え、私も次々と上の仕事を任された。でも、何か物足りなくて。「自分の能力をもっと発揮したい」「自分の言葉で何かを伝えたい」などと妄想し、1年間悩んだ末スッチーを辞めたのだ。

 ANAを離れ、世間の冷たい風に吹かれ、やっと「自分に特別な能力などない」「自分の言葉などない」ことに気づき、「CAを辞める」という決断の重さを痛感する。

 世間からは「スッチーからお天気お姉さん、そして学者さんと転職の女王ですね! チャレンジ精神がすごいですね!」と言われてしまうことがあるが、キャリアを見据えたうえで進路を器用に選択してきたわけではなく、「チャレンジ精神」なんてかっこいいものではない。「辞めるカード」を切ってしまった以上、「何者」かになるべく、前に進み続けるしかなかったのだ。

 ある意味、開き直り。

 「辞めなきゃよかった」という言葉が脳裏をよぎる度に、「自分でスッチーを辞めると決めたんだから、妄想を現実にする以外にどうする?  スッチーに戻るんかい?  やるしかないじゃん」と脳内のサルたちに脅された。辞めたことを後悔しないためには、どんな壁があろうとも、喘ぎ、踠きながらも前に進み続けるしかなかった。

 他人からは色々やってるように見えるかもしれないけど、私の中では一本道。

  それは「続けることの難しさ」を知るプロセスであり、やがて、「辞めるのは簡単。続けることほど難しいことはない」が持論になったのである。

 であるからして、最後の最後まで「いちCA」を貫き乗務を終えた大宅さんを心から尊敬し、その生き方に感動している。そして、私は、今後待ち受けるいくつもの困難に折れそうになったとき、大宅さんの勇姿を思い出し、「普通にフライトする」という言葉に励まされるに違いない。

 そして、「後輩へのアドバイス」が、私がペエペエだったときに言われたことと変わっていなかったことに至極感動している。

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