ペエペエの私が大先輩たちから学んだ、仕事の楽しさ

 ……実は大宅さんは、私が「今」ここでこうやって文章を紡ぐ「礎」を作ってくださった先輩の一人だ。

 個人的な話で申し訳ないが、私がANAの国際線のCAになったのは、ANAが国際線に就航して2年目。当時のANAは「JALに追いつけ、追い越せ!」が社員の合言葉で、成田にいる客室乗務員はわずか500人程度。そのうちのほとんどが、国内線から異動してきた優秀な先輩CAだった。大宅さんはその中でもトップ中のトップ。ペエペエの私の大大大先輩だったのである。

 国際線はロサンゼルス、ワシントン、シドニーの3本の長距離路線と、グアム、香港、北京(大連経由あり)、ソウルの4本の短距離路線のみで、成田の客室部は平屋の小さなプレハブ小屋だった。

 「ゲッ、マジ? こ、これが……ANAの世界の拠点なの???」と、初めて見たときに私は唖然とした。

 なんせ学生時代の私は、キャリア意識のカケラもない、恥ずかしいほどノーテンキで生意気な小娘で。ANAの採用試験を受けた理由も、「スッチーになるなら、勢いのあるANAでしょ。ANAは学生に人気だもんね」という、単なるイメージだけ。ANAという会社をきちんと調べることもせず、「3年間飛んだらスッチーやめて、いい人見つけて結婚して、30歳になったら双子を産もう!」などと考えていたのだ。

 ところが、大宅さんをはじめとする国際線のパイオニアの先輩たちと出会い、フライトをご一緒しているうちに私は「想定外の自分」に出会う。

 「仕事って楽しい。もっともっと働いてみたい! もっともっと能力を高めたい!」と仕事が人生の一部になった。

 先輩方には、「サービスとは何か?」「お客さんに寄り添うとは何か?」「客室乗務員とは何か?」「お金をいただくとは何か?」……etc etc を、日々のフライトの中で学び、ステイ先では、「街に出なさい。美術館などを巡って文化を学びなさい」「現地のレストランでお食事をし、サービスを学びなさい」と飛行機を降りた後も、サービスの質を高める心構えを教えてもらった。

 かつて「モヒカンジェット」の愛称で親しまれた機体の尾翼のマークが、レオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプターのイラストなのは、初代社長である美土路昌一さんが日本ヘリコプター輸送(日ペリ)を立ち上げた時の思い入れに由来していることや、北京線のフライトの時には、幾度となく岡崎嘉平太さん(第2代社長)の中国への想いを聞かされた。

 ハワイ便の就航初便に乗務したときには、ホノルル国際空港にランディングした際に先輩方が涙したのは、「若狭さん(第5代社長)の念願が叶った」ことへの喜びだったことを知る。

 私は「空を股にかけた仕事がしたい」とフィーリングだけでCAになったのに、先輩たちに出会ったことで、
「一回一回のフライトを大切にしなくちゃ」
「お客さまに『またANAに乗ろう』と思ってもらえるサービスをしよう」
と、ANAという会社の多くの社員の熱い思いと汗の結晶であるフライトに、CAとしての誇りと愛情を注ぐようになったのである。

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