「ジジイたちの壁は厚い」

 ちょうどこの結果が報道される前日。小池都知事が石原慎太郎元都知事に送った質問書への回答や、オリンピック会場移転にことごとく「ノー」を突きつける関係各所のお偉いさんたちの報道をみて、

「ジジイたちの壁は厚い」(失礼な言い方で申し訳ないのですが、こう心から感じているのです)

と嘆息をもらしていたので、余計に気が重くなった。 

「いままでの経過があるんだよ」
「みんなで話し合ってきたんだよ」

 男性たちはやたらと、変えることをいやがる。

 難しいとか、前例がないとか、あれこれ理由をつけ、申し合わせたように結託する。

 とにかくジジイたちの壁は厚い。ベルリンの壁よりも厚い。あと200年くらい、男女格差問題をネタにコラムが書けそうなほど厚い。

 ルイスは今の日本を見て、なんと言うだろうか。

 誰? カール・ルイスではありません。16世紀に日本に滞在していたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスです。

 氏は、『日欧文化比較』(中公新書)に次のように記し、日本の男女平等性と、女性たちの自由さを賞賛している。

「日本の女性はヨーロッパの女性たちと異なり、自ら財産を所有し、自ら離婚を申し出、夫に知らせずして、好きなところに行く自由を持っている。また、日本の女性たちは文字を書き、彼女たちはそれを知らなければ価値が下がると考えている。これは文字を書けないヨーロッパの女性とは大きな違いだ」と。

 また、歴史研究者の網野善彦先生も「南北朝時代までは女性たちは、荘園や公領などあらゆる社会的活動の表舞台に登場し、国衙や東寺の支配制度の中で、公式の職に任命され、活発に表舞台で活躍していた」と、“数”の平等性が、女性の発言権と社会的地位獲得につながっていたと断言する。

 つまり、よほどの強行策で「数」を増やさない限り、日本の男女格差はなくならない。ましてや、ここ最近はある種の“副作用”が広がっていて、みちのりの険しさを痛感することも増えた。

 つまり、「女性活用は、もういいよ」と。

 あまりに「女性活躍」「女性活用」「女性が輝く社会を!」というスローガンが飛び交い、現場が食傷気味なのだ。

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