日立製作所は、人工知能(AI)が社員個人に対して、幸福感を高めるアドバイスを与える社内実験を行っている。
「いったい、どんな仕組みなの、それ?」「そもそも、AIに人の心をスッキリ解析されてたまるものか!」「この研究のリーダーである矢野さんって、どんな人なんだ?」
当コラムの著者、河合薫さんが、たくさんの「?」を携えながら、押っ取り刀で日立製作所研究開発グループ技師長の矢野和男さんを直撃。果たして、「?」の謎は解けたのか。それとも、返り討ちに遭ったのか…。
「前編」に引き続き、「幸せ」を巡る2人の熱いラリーをお届けする。(編集部)
(前編から読む)
河合:幸せな集団には「揺らぎ」があるというお話でしたが、これってどういうことなんですか?
矢野:会社の中はひとりではないですよね。いろいろな人と多かれ少なかれ、何らかのかかわりを持って生きている。すると動きにも、周りと連動する動きが出てくるわけです。
例えば、座って話を聞いている、あるいは話をしているといったときにも、本人が気づかないところで「無意識の動き」のリズムが表れる。いっぺん動いて、すぐ止まる場合もあれば、動きだしたらずっと続けてしばらく動いている場合もあります。それらの長さのばらつきがたくんさんあると、その人はどんどん幸せになっていくんです。
河合:ってことは(オフィス見渡して)、今は不幸せですよね。みんなパソコンに向かって、動いてないですから(笑)
矢野:いやいや、あれは動いているんですよ。
矢野 和男(やの かずお)さん
1984年早稲田大学物理修士卒。同年、日立製作所入社。現在、日立製作所研究開発グループ技師長。工学博士。IEEE フェロー。
河合:あれで、ですか?
矢野:無意識に、常に動いたり止まったり、必ずしています。今、お話ししてる動きとは、「無意識な動き」のことです。この動きの計測には、腕に装着するタイプではなく、首からぶら下げるものを使っているんです。これはX、Y、Zのどっち向きにどのくらい動いたかというのを計測しています。
河合:う~~む。なんだかまた、混乱してきました。………。じゃあ、たとえば起きました。朝ご飯を食べます。そうすると活動量が上がってきます。それで昼間、ご飯を食べるとちょっとだらっと動きが鈍くなります。夕方になると、5時から男でちょっと元気になってきます。新橋でガンガンに盛り上がります。で、帰宅すると下がってきます。と、こういう動きを、揺らぎって考えればいいんですか。
矢野:全然違います(笑)
河合:(ガクっ)
矢野:それはあくまでも、動きの量の多い少ないの話ですね。量とは別のところに、本人ではコントロールできない無意識の動きの揺らぎというのがあるんですね。
河合:揺らぎというくらいですから、規則的な動きが、一瞬乱れるような感じでしょうか?
矢野:そうですね。はい。とにかく幸福感の高い人たちというのは、無意識にいろいろな長さの動きを示すんです。
ただし、その動きはひとりで勝手に動いているわけではなくて、周りの人たちの動きと連動するリズムを持っているんですね。
「アンハッピーな集団は、無意識の動きの“揺らぎ”が少ない」
河合:ケラケラ笑うとか、一緒に作業をするとか、そういったことですか?
矢野:いいえ、違います。意識的にコントロールできないような無意識的な動きですから。
先ほどお話ししたように、ハッピーな人には、無意識の動きに長さの“ばらつき”があります。長く続く動きと短い時間で終わる動きがミックスしていて多様なんです。で、幸せな集団は、そうした揺らぎの大きい人が多い。連動しているんです。一方、アンハッピーな集団は、同じような長さの動きが中心で揺らぎが少ない。
河合:ほほぅ。
矢野:しかも、幸せな集団の揺らぎはきれいで、テールがきれいに伸びるベキ分布になるんです。ところが幸せじゃない集団は、テールがきれいに伸びなくて、ストンと崖みたいに切れちゃう。
河合:ストンと、ですか?
矢野:はい。揺らぎが大きいほど、揺らぎは長く持続しやすいんです。アンハッピーな集団は揺らぎが小さくて、かつブツ切れになりやすい。だから、テールがすとんと切れる。
集団における身体運動継続時間と「ハピネス度」(日立ホームページより)
河合:なるほど。
矢野:あと、無意識の動きの揺らぎというのは、人間だけではなくマウスやハエにも出ることが他の研究者の実験でわかっているんです。
河合:幸せなマウスやハエ? ですか??
矢野:逆です。マウスの遺伝子をノックアウトして、ある種のうつ状態のようなマウスを作ります。すると周りとの関係性で生まれる、きれいな揺らぎが認められなくなる。そこで我々の仮説は、この体の動きの無意識的な揺らぎ、1日のある程度の期間の中の揺らぎというのは、極めてそういう生物由来の非常に健全な生物としての機能を発揮していると考えています。
河合:ああ、揺らぎが何となくわかってきました。気分が落ち込むと人と会いたくなくなったり、自分の殻に籠るようになる。すると周りの動きと連動しておこる、無意識の動きの揺らぎというのがなくなるってことですね。
矢野:そうです。そうです。
河合:うつ病になると、顔の表情なども動きがなくなるとされています。本当に誰かと対面しているときだけ動く。動きの余裕がなくなるというか。
ただ、世の中の人たちは、うつ病の人というのは、憂鬱な表情で、口数も少なく、うなだれていると考えがちですけど、ちょっと違うんですよ。かなり重症なうつ状態にならない限り、日常、極めて普通にこなしているんです。しんどいのに耐えながらも、相手に悟られないように、にこやかに笑顔を浮かべて話したりしているんですね。
矢野:それって、無意識の動きには出ていますよ。動きの量だけで見ると、相当何かが起きないところまではあんまり見えないと思うんですね。ただ、揺らぎの方を見ていると、シグナルがいろいろなところに出ているんです。
しかも、その本人だけじゃなくて、周りにも出ているんですね。よりインタラクションしているところにも。我々って他の人たちの体の動きに、無意識下でものすごく影響されているんですね。
「休憩時間のおしゃべりが盛んな日は受注も上がる」
河合:人は環境で変わる。めちゃくちゃ健康社会学的論理ですね。無意識の体の動きのパターンに、その人の幸せがすごく映っているってことですね。
矢野:河合さんのご専門の健康社会学というのは、そういった学問なんですか?
河合:はい。人とその人の周りの環境との関わりにスポットを当てます。社会の窓から人の心をのぞく、これが健康社会学です。つまり、本人が周りに影響を受けている場合もあれば、その本人が周りに影響を及ぼしている場合もありますよね。ただし、相関はあっても因果関係は、それだけではわからない。
矢野:なるほど。確かにそうですね。活気あるチームにいると自分もなんとなくやる気が出てきますが、ものすごいやる気ないメンバーがチームに入ることで、そのチーム自体の活気がなくなることもある。
河合:はい、そのとおりです。腐ったリンゴは周りを腐らせる。でも、腐る環境があるからリンゴも腐る。だから縦断的に調査していかないと、因果関係はわからないんですよね。
ただ、社員が溌剌と元気に働いている会社は、社員同士のつながりがあります。社員同士の心と心の距離感が近い。そういった会社では、例外なく挨拶が飛び交っているんです。
矢野:挨拶というのは?
河合:「おはよう」「おはようございます」、「こんにちは」「ご苦労様」、「行ってきます」「おう、がんばってこいよ!」といった挨拶を社員同士が廊下ですれ違うときに交わしている。挨拶という、極めてシンプルなコミュニケーションを大切にしているんです。そして、そういう会社には、いい無駄がある。
矢野:具体的にはどういう無駄なんですか?
河合:たとえば、社員が一服できるような空間がオフィスのど真ん中にある。昔の給湯室みたいな空間です。あるいは運動会や部活があったり、社員旅行があったり。「そんなの無駄じゃん」ってカットされそうなものを大切にしています。無駄話、無駄な時間、無駄な空間という、人がつながる無駄が職場にあるんです。
矢野:いや~、それおもしろいですね。実は、私たちのセンサーをコールセンターの人たちにつけていただいた実験があるんですが、受注量の多さは休憩時間での会話と相関がありました。休憩時間に会話が活発な日は受注量が多くて、少ない日に比べると34%も受注率が高いというようなことが出ているわけです。会話は体の動きにも表れるので、加速度センサーでとらえられる。
幸福な集団ができると、人間としての能力のパフォーマンスが上がるということを示していると我々は解釈しているんですね。店舗でも従業員のハピネスが高い日にはそうでない日に比べて15%も売り上げが高くなるという結果も出ています。
河合:幸せは個人的な感情ですけど、人はひとりでは幸せになれないんですよね。
矢野:ええ、そうだと思います。ひとりでは幸せなれない、というのはまさしく同感です。それが無意識の動きにも表れているってことなんです。
河合:しかも、それが生産性と直結している。
矢野:そうです。人間の能力自体が、幸福によって発揮のされ方がすごく変わるんだと、私たちは考えています。
河合:ああ、それは私もいつも書いていることです。つながりの重要性です。でも、目に見えないつながりが、「動き」に表れることを見つけたのってめちゃくちゃスゴイ発見ですよね!
「もっともっとチューしたくなるってヤツですね」
矢野:ありがとうございます。実は、もっとおもしろいこともあるんです。「去る人は日々に疎し」といいますけど、会わなくなるとどんどん会わなくなりますよね。あるいは会いだすとまた会ったりしますよね。あれって実は体の動きの分布とまったく同じリズムになっていまして、すなわち会えば会うほどまた会いたくなると。会わなくなるとどんどん会わなくなるという。
先ほど話したように、揺らぎは、大きいほどそれが長く続きます。それと同じなんです。
河合:ああ、それってなんとなくわかります。人には、気持ち良かったことを繰り返したいっていう脳の動きがありますから。チューして気持ち良かったから、もっともっとチューしたくなるってヤツですね。あっ、すみません。くだらない話でした(苦笑)
矢野:大丈夫ですよ(笑)
河合:一度会うと、その後もなぜか「また会ったね」みたいなのって、ひょっとして、あれも理論物理の窓からみると、偶然じゃなかったりしちゃいます?
矢野:それは偶然だと思いますが、偶然の中に、非常に共通の法則性があります。揺らぎが大きいとそれが持続しやすいのと同じです。偶然と思われているものにも法則性があって、物理式で読み解けるんです
河合:自分でふっておきながら……、物理式の話になると、また私の脳はカオスに突入するので、偶然だけど偶然じゃないという理解でとどめておきますね(笑)
矢野:じゃあ、そうしておきましょう(笑)
河合:今回リリースされた日立のウエアラブルセンサーですが、これを装着すると働く人の幸福感が向上するように、誰々に話し掛けてみろとか、何とかしろとか、具体的な行動を装置内のAIがアドバイスするわけですよね?
矢野:はい、そうです。
河合:で、このニュースが流れたときに、私、たまたまコメンテーターでテレビ番組に出演していたのですが、「何で仕事していて幸せにならなくちゃいけないんだよ」という反応が結構、あった。
なので、社員が幸せになるとモチベーションが高まるので、生産性にもプラスの影響がある。しかも、それは企業にとってのプラス要因ではなく、能力発揮の機会があったり、それとか昇給であるとか、昇進であるとか、“幸せへの力”なんだっていう説明を、まぁ、それは私の考える幸福感、つまり「幸せへの力」なんだって説明したら、なるほど、ということになった。
ところが、それをAIに言われるのはちょっと、というか、そこまでAIにコントロールされたくないという意見が根強かったんです。
矢野:それは極めて重要なところです。AIは結構、今ブームになっているじゃないですか。で、擬人化されて語られることが多い。最大の間違いがまさにそこにある。AIは擬人化しちゃいけないんです。
たとえば、今回のセンサーはあくまでも自分がやったデータ、自分がこういうことをやったら周りがどんな反応をしたといったあらゆる過去のデータに基づいています。こういうことをやっているときとそうでないときには、こんな差がありますよ、というエビデンスを一人ひとり個別に示しているだけです。
自分が残した足跡の中に潜むものだけど、人間じゃ気付かないし、そのままどんどん捨てていっているもの。ただ単に、それを引き出しているというだけです。
「幸せについて考えなくなっていることが“幸せ”かな」
河合:自分の分身と考えればいいですか?
矢野:う~ん、それもちょっと違います。幸福感が主観的なもので人それぞれのように、まさに環境とのインタラクションも、背負っているものも、信じているものもそれぞれ違うわけですね。
こういうことすべてをマネージすることは、人間にはとてもできない。そこであらゆるデータを集めてサポートをしてくれるのが、テクノロジーで。AIはあくまでもテクノロジーでしかない。人がいたり生物がいたり新人類がいたりするわけじゃないんです。
河合:心理学では認知行動療法という、自分が見逃しているものごとの側面や、無意識の自己感情を気付かせる手法があるんですが、ちょっと似ているかもしれないですね。認知行動療法の最大の利点は、やはり自分が基本になっていること。自分のことを客観的に見つめることで、自分が変わっていく。それとまったく同じという考え方でいいんでしょうか。
矢野:はい。同じだと思います。いわゆる会社の中のさまざまなベストプラクティスだったりルールだったりは、たいてい一律ですよね。こういうことがいいとか、会議は1時間以内にしなさいとか、5人以内でやりなさいとか。
でも実は、状況によって全然そんなことはなくて、一律なわけがない。人間関係も非常に違いますし、性格も違えば背負っているものもバックグラウンドとして知っていることも違う。業務だって、一人ひとりそもそも違いますよね。
だからこそデータを測って、データからその人の今日の状況においてはこういうことが大事ということが、データではこう出ていますよということを教えてくれているテクノロジーがあるわけです。AIというのはそのために存在するのであって、技術の進歩でデータを取る手段も多様化し、コストも安くなっているので、活用しない手はないと思います。
河合:ただ、経験則が狂うことってありますよね?
矢野:大丈夫です。それもまたデータになってアドバイスが変わりますから。どんどん変わっていくので問題ないです。
河合:なるほど。やっとわかりました! ところで、矢野さんにとって、幸せってなんですか?
矢野:難しいですね。私、昔はですよ、幸せってこういうものだとか、幸せって何だろうとかとよく考えていました。やっぱり結構、しんどい時期があったんです。いろいろな仮説をたてて、試すけどうまくいかない。結果を出せないわけです。社内で肩身の狭い思いもしましたしね。
でも、今振り返ってみると、いろんな失敗が今につながっているし、アドバンテージにもなっているわけです。で、ふと気付くと、幸せについて考えなくなっていることに気付いた。
つまり、あんまりそういうことを考えなくなるということが幸せなのかな、と。
ゴールのある山登りではなく、むしろ波乗りをイメージするようになりまして、今日この日をとにかく必死に生きて、波がやって来たら、何で乗るんだみたいなことを考えずにとにかく乗る。きっとどこかでは考えているだけど、あんまりとらわれずに、今日この日のこの出会いに、乗っていけばいいんじゃないかなぁって、思っています。
河合:つまり、動けってことですね。アレコレ言ってないで、とにかく必死で動け!動き続けろ!って(笑)
矢野:そうです。動き続けることです。止まらないという(笑)。それで、先が見えないからどうしようとかって考えるんじゃなくて、動き続ける。
河合:はい、でも、ときには止まって、フ~ッと休憩するのも、アリですよね?
矢野:アッハハ。そうですね。
河合:私の今日の動きには、たくさんの揺らぎがあったと思います! 幸せな時間をありがとうございました!
この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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