先週、オリックスの宮内義彦チェアマンとの対談「その1」を公開した(「その2」は来週公開です)。
で、いつものようにコメント欄を読んでいると……、今さらながらわからなくなった。
正社員の既得権益、経営者の既得権益、既得権益を変える、既得権益化、既得権益を捨てろ、既得権益層、既得権益が通じない、解雇されない既得権益システム、既得権益をぶっこわす、日本の遅れは既得権益から起こっている、一見既得権益はないように見える、既得権益、既得権益………。
そうなのだ。コメント欄に散在する「既得権益」という言葉を見て、混乱した。
「既得権益って何なのだろう?」と。
メディアでは連日、日産や神戸製鋼所の問題が報じられていて、それを見ながらも「既得権益」という言葉がよぎるという困った有り様で。
私の脳内には常に、ウサギやらタヌキやらおサルが動き回っているので、自分では200%わかって使っていたつもりの言葉がわからなくなることは往々にしてある。今回も“1人パニック状態”に陥ってしまったのだ。
ちょうどそのとき。
「西室泰三氏、死去」との速報が流れた。
西室泰三氏、享年81歳。
1996年に東芝の社長に就任し、2000~05年に東芝会長も務め、01年から経団連副会長、地方分権改革推進会議の議長、財政制度等審議会の会長など政府関連の要職を歴任。05年には、株式上場を目指していた東京証券取引所の会長となり、売買システムの障害で当時の東証社長が引責辞任後は社長を兼任。13年6月には、日本郵政の社長に就任し、西室さん自身が「郵政民営化プロセスの集大成」と位置づけていた日本郵政と傘下金融2社の株式上場を15年11月に実現させ、16年に体調を崩し、社長を退任した。
その西室さんが、亡くなっていたことがわかったという。
私にとっての西室さんは、これまでお会いした方の中で、誰よりも心に残っている方で。
2007年、東証の会長をなさっているときにインタビューをさせていただいたのだが、そのときの西室さんの語りは私が歳を重れば重ねるだけ深みを増し、西室さんが紡いだ一語一句は今もなお鮮明に記憶している。
河合:経営面での取材は何度もお受けになったことがあると思いますが、きょうは経営者としての西室さんじゃなく、人間、西室泰三に迫ります!
西室:おやおやおや、何となく恐ろしいことですね(笑)。
河合:ご自分の今までの過去を振り返っていただき、当時のお話を私のほうからいろいろ質問させていただきますので。
西室:はいはい、どうぞ。
河合:それで自己分析をしていただきたいと思っております。
西室:自己分析をするわけ? 大変だ。いやぁ、こんなの初めてだな(笑)
……インタビューをテープ起こしした原稿をハードディスクから探し出してみると、当時の私はこんな具合に相当に無鉄砲で、今以上にストレートというか、ぶっ込むというか。
人間的にも、職業人としても、研究者としても未熟で、海のモノとも山のモノとのわからない存在だった。そんな私を西室さんはとても広い心で受け止めてくれた。
あとにも先にもあんな方にお会いしたことはない。
その西室さんがここ数年、批判を浴びるようになってしまったのはホントに悲しかった。
15年に発覚した東芝の不正会計問題、社長時代に日本郵政が買収した豪物流大手トールの巨額損失……。
それらの不祥事の原因は西室さん、と指摘する人たちがいた。
「既得権益にしがみつく人」「ポストに執着」「いまだに我が者顔で東芝社内を闊歩している」「老害」……。
私が見て、話して、感じた西室泰三という人物とは全く結びつかない暴言の数々を見聞きする度に、複雑な気持ちになった。「いや、西室さんはそんな方じゃないよ」と。
「1回なくなるはずの命だったのが、幸いに恵まれて生きながらえている。だから、生かしていただいている間は、ちゃんと仕事をしようと自分を励ましてきました。
今もね、自分で何をしたいというよりは、こういうことをやってほしいという仕事をやっているんです。
東芝の相談役も財政制度審議会も、東証の会長も、他動的に、周りの方が見て、この人がいいだろうって言ってくれたことなんです。
ただね、最近は過労もあって足の具合も悪い。もう少し仕事を減らそうかなと思っていたんだけど、サポーター付きの靴を履くようになってから、おかげさまで歩き方が相当よくなってね。
そうすると気持ちも違いますよね。まだ、なんかできそうな気持ちになるから、しばらくは東証のお手伝いをしようと思っているの。それ以外にも一種の社会貢献は続けたいと思っています。
これから先は自分が決めるよりは世の中が決めて、期待して、やってくれ、という話は受けざるを得ないだろうと思っています。しかしね、もうそろそろ年ですから……」
25歳のときに「余命5年」と宣告され、「一度死ぬと言われたのだから、そのときのことを考えると大抵のことは我慢できる」と語った西室さんは、インタビューの最後でこのように話してくれた。
2000年に4年間務めた社長を退いたときに残した、「経営改革はまだ2合目だが、完全燃焼した」という言葉どおり、その後の人生には個人的な“欲”などなかった。
不祥事発覚後、識者や記者の中には「ポストにしがみつくのは“財界総理”になりたいから」などと言う人がいたが、私は当時の西室さんの言葉を真摯に受け止めている。
そして、今回。西室さんの訃報を知り、東芝関係者の方たちに何人かコンタクトをとることができた。そこで10年前の「人間、西室泰三」に迫った…いや、迫ろうとした稚拙なインタビューを振り返るとともに、東芝で西室さんの部下だった方たちの証言を元に、「西室泰三と既得権益」について考えてみようと思う。
「東芝にちょうど入社したころですかね。足がだんだん弱くなってきて筋肉が動かなくなった。最初は何が起こったか分からなかった。それから、いろいろと気にしてみると確かに筋肉がだんだんと死んでいる、という感じで。それで東大病院で最初に診てもらって、そのあとも、あちこち診てもらいました。結局、どこも結果は一緒で、筋肉が衰えていく原因不明の難病に違いないと。足から始まって、だんだん上のほうの筋肉まで衰えていって、最後、心臓まで行ったら終わり。早くて5年。余命、5年と宣告されたんです」
これは西室さんを語る上で、絶対に避けて通ることのできないエピソードである。
東大の受験に失敗し、二浪したのち慶応に進学。商社に内定をもらうも「留学生試験、受けない?」との友人の誘いに1年間カナダに留学。
厳格で教育熱心な父親に「小学校に入る前に毎朝、論語の素読をさせられたり」「英語も小学校の1~2年のころからおやじに教えられたり。本当は英語はおふくろのほうが上手だったみたいだけど。おやじが教えるというので任せたんじゃないかと思いますけど」という環境で育ち、外国に旅だった。
「帰ってきてから、やっぱりメーカー、それもインターナショナルに発展できる会社で働きたくて、東芝に就職した」。ところが「東芝に入社した頃に身体の不調に気がついて、半年後に医者に余命宣告された」。
「『最後心臓までいったら終わりだ』と言われて、でも意味がよくわからなくてね。ショックというよりピンと来なかったというのが正直な気持ちでした。
「僕は、その頃は仕事が面白くなっちゃっていたんです。貿易部に配属されて輸出の実務を始めたんですが、ある程度英語がわかったし、僕は生意気だから『これ、読み方違うんじゃないか』みたいなことを先輩に言ったりしてね(笑)。
真空管やらをアメリカ人に売り込むんだけど、すごく優秀な技術者の人で英語がそれほど得意でない方が僕に技術の速成教育をしてくれたわけ。こんな優秀な人たちが僕に時間を使っていいのかと心配になってしまうくらい、すごく親切にいろんなことを教えてくれてね。
まだ、入って半年だけど、この会社には僕が必要な人材になっているんだ、なりつつあるんだなって感じていたの」
英語を武器に、社内でも頭角を現していった西室氏だったが、死の恐怖からかタバコを1日に10箱も吸い、医者からは「筋肉の病気で死ぬ前に肺がんで死ぬ」と警告された。
西室:将来を考える時間を減らしたかったってことかなぁ。できる限り仕事の時間で埋めちゃうようにしていたんだけど、仕事で埋まらない時間をたばことお酒で埋めたの。
河合:どんなことをお考えになったんですか。
西室:やっぱり5年で本当にこの世から私はいなくなるのかなぁと。自分がいなくなったあとで、みんなにすぐ忘れられる程度の存在だったら、生きている価値があるのかないのか分からない。
だから残された時間で、いなくなったあとに自分のことを思い出してくれる人を、どのくらい増やすことができるだろうと考えましたね。何回も何回も自分で考えるうちにね、5年もあればなんとか自分でできるって思ったんです。そう、5年もあるってね。
河合:会社には病気のことは?
西室:言ってないです。言えない。絶対に言えない。
河合:友人には?
西室:言ってません。
河合:そのとき、彼女は?
西室:彼女、いましたよ、いろいろ(笑)。
河合:いろいろですか(笑)。
西室:いやいや……。あまり深い方はいないけれども、2人ぐらいです。
河合:2人ぐらい(笑)、同時進行じゃないですよね。
西室:いや、違う違う。大丈夫です。
河合:彼女には病気の話は?
西室:しませんね。僕はいなくなることが決まっているのに、相手をそこまで引きずり込んでいいのかっていう気がありました。
仕事とたばこで「死の恐怖」に耐えていた西室さんに転機が訪れたのは、入社3年目。
「僕に技術を教えてくれた人のうちの1人が、上司になって『責任ははすべて俺がとるから、君が何でも決めなさい』とアメリカ出張に送り出してくれた。上司が部下に『好きにやってきていいよ』というのはすごく勇気がいる話なので、本当にありがたかった」
海外出張を命じられた翌年、東芝アメリカの立ち上げに再び渡米。そのまま電子部品のセールスマネージャーとして駐在し、「もう一度、もう一度だけ医者に診てもらおうとニューヨークの医師を訪ねた」。
「5%ぐらいの確率で、脊髄に何かできて神経を圧迫しているかもしれないと。当時はMRIもCTもないから検査も危険。ちょっとでも神経に触れれば下半身麻痺になるし、最悪の場合は死ぬ。でも、僕はたった5%の確率でも可能性があるんだったら、それにすがりたくてね。検査を受けた。そしたらやっぱり脊髄の中に膿腫みたいなものができていて、それが神経を圧迫していたことがわかったので、取り除く大手術をしました」
冒頭に書いたように、「1回なくなるはずだった命が、幸いに恵まれて生きながらえている」ことができたのである。
その後の西室さんの活躍は目覚ましく、3年間の海外駐在の中で白黒ブラウン管で大口顧客を獲得。「東芝の金字塔を打ち立てた」と賞賛される。
しかし、帰国後、再びアメリカに駐在を命じられた時に、死の恐怖を抱えていたときに匹敵するくらいの困難な状況に遭遇した。DVDの規格統一交渉でソニーや松下電気産業と対立。一時は東芝の完敗が予想されたが、粘り強い交渉を続け、東芝の主導権獲得を成功させたのだ。
西室:どうやったら抜け出せるのかわからないくらい大変だった。それで、またタバコやお酒が増えて、自分でもわかるくらいやせていきましたね。これ以上いったら、本当に死ぬと思って、タバコをやめた。でもね、毎晩タバコの夢を見るくらい辛かったの。
河合:禁煙は、仕事の大変さと同じくらいつらかったですか?
西室:そうね。同じくらい。でも、せっかくもらった命を台無しにしたらばかばかしいなと思って、たばこはがんばって止めました。仕事のほうもそれからしばらくして、いろいろラッキーな契約が取れて解決できた。
河合:難しい状況を乗り越えられた最大の理由はなんだと思われますか?
西室:一度「死ぬ」と言われたんです。そのときのことを考えると大抵のことが我慢できるなって。亡くなるはずの命が、幸いに恵まれて生き永らえているんだから、生かしていただいている間はちゃんと仕事をしようと自分を励ましました。
日本に帰ってきてからも自分のキャリアへの不安や、仕事で大変なことが何度かあったけども、何とか頑張っているうちにそれなりにちゃんと業績が上がるのが実感できましたから。
周りがね。やっぱりよかったの。仲間をつくらなけりゃいろんなことができないというのは、子どもの頃から思ってましたけど、本当に周りがよかったの。
河合:子どものときから?
西室:いたずらするときだって、1人でやるよりは仲間を呼び込んでやったほうがいいでしょ。
河合:屋根裏に上って悪さするときも、みんなを集めて。
西室:そうそう。だって、下から支えないと上がれないでしょう。
河合:じゃあ、自分が新しいことをチャレンジするために誰か仲間をつくんなくちゃと?
西室:それほど悪くないですけどね。
河合:(笑)そこまで悪くない。
西室:ガキ大将で通信簿には「注意散漫」って書かれてたけど、うん。そこまで悪くない(笑)。仕事をする上ではね、割に最初の頃からそういう意識はありましたね。
以上が膨大なインタビュー原稿から抜粋した、「どうしてもみなさんに知ってもらいたかった、人間・西室泰三さん」だ。
これまで私が接してきた東芝の社員の方たちは、私が西室さんにインタビューして感銘を受けたことを伝えると、
「自分が課長時代に苦しかった時、わざわざ現場までやってきて『がんばんなさい』と言われて驚いた」
「紳士的で、それでいて戦略的。唯一自分があこがれた経営者」
と穏やかな顔で語り、
「本社のエレベーターでたまたま一緒になると『何階ですか?』と聞かれてボタンを押されようとするので、恐縮してしまった記憶があります」
という方もいた。
また、今回の西室さんの訃報を聞きコンタクトできた方で、西室さんの元でやってきたという方は次のように話してくれた。
「部下たちの話には耳を傾けるが、経営の方向性は確実に指し示す人でした。あまり知られていないのですが、西室さんが専務時代に『Advanced- I』という新事業創出のダイナミックな経営変革のプロジェクトがあった。20年前の当時としては珍しく、東芝の中でも自由闊達で、上下に拘らず、何でも意見交換できる雰囲気があったし、西海岸との交流も多かったです。
プロジェクトの打ち上げパーティの場では、若い人も含めて、メンバー1人ひとりにビールを注いで慰労する氏の姿が瞼に焼き付いています。
こんな挑戦は、江川英晴(副社長)、西室(専務)なくしてムリだったと思います。懐刀に森本泰生という経営戦略長がいたのも大きかった。西室さんが彼らに権限を移譲し、決断の人を部下に持っていたんです。森本は西室が社内カンパニー制を敷いたときに社内分社したセミコンダクター・カンパニー初代社長で、その後副社長になった。
彼こそが東芝の背骨を支えた経営者です。大前研一が唯一、電機メーカーの経営者で尊敬する人といった男です」
経営者の既得権益とは何か?
女性をどんどん活用するなど変革を進めているカルビーの松本晃会長兼CEOは、「権限を独占すること」と説く。「既得権益」化しないためには、独占するのではなく、部下に与えることが出来るかどうかだ、と。
「そして権限を移譲された人たちが、自ら考え決断することが大事。それができないと、社長が変わった途端に会社は元に戻る」(by 松本会長)。
今から20年近く前に「既得権益」を捨てたのが、西室元東芝社長だった。少なくとも私にはそう思える。
「私が半年前まで関係していた燃料電池事業で、西室さんは長い間、私人としてもサポートして下さった。普通なら会社という公的な立場で関連推進団体の会長に就くのが自然ですが、敢えて個人会員として登録し、自分が東芝のトップの立場から離れた相談役の時まで、この事業の行く末を温かく守っていただいた」
と話してくださった関係者もいた。
もちろん組織である以上、対立する人たちもいたし、批判する人もいた。
結果責任を負うのがトップの役目である以上、東芝の不祥事の責任を問われてもいたしかたない。
それでもやはり、インタビューと証言から受けた印象では、少なくとも「既得権益にしがみついた人」という評価は違うと思う。ただし、私がお会いしたのは西室氏が2006年春、70歳のときのこと。そこから10年間、人間の老化が進む時期に、衰えが隠せなくなったのは自然の摂理として当然あるだろう。
「これから先は自分が決めるよりは世の中が決めて、期待して、やってくれ、という話は受けざるを得ないだろうと思っています。しかしね、もうそろそろ年ですから……」
インタビュー時の言葉を改めて読み直すと、これからいよいよ厳しくなる肉体・精神状況をおそらく覚悟していたことが感じられる。そしてなお、生きながらえた命を酷使した。
かくも高齢な経営者に、それでも頼った人々は、何を彼に期待したのか。
その結果を、彼の私利私欲に結びつけてお仕舞い、としていいのだろうか。
西室さん、本当にお疲れさまでございました。どうかゆっくりなさってください。そして、心から、ありがとうございました。
『他人をバカにしたがる男たち』
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特に〈女をバカにする男たち〉の章は本書の白眉ではないか。「組織内で女性が活躍できないのは、男性がエンビー型嫉妬に囚われているから」と説く。これは男対女に限ったことではない。社内いじめ、ヘイトスピーチ、格差社会や貧困問題なども、多くの人がエンビー型嫉妬のワナに落ちてるからではないかと考え込んでしまった。
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