河合:す、すごい……。えっと…、宮内さんが出向したのはいくつのときですか? つまり、日本一のリースの専門家になったときですけど(笑)。

宮内:アッハハ、日本一の専門家になったのはね。確か28歳ぐらいだったかな。

河合:立ち上げメンバー13名の中で、28歳というのは……、

宮内:一番若かったですね。

河合:一番若くて。

宮内:それで、なおかつ大専門家?です(笑)。偉い人を集めて、「こういう商売をするんです」といって、毎日、レクチャーをやっていました。オリエント・リースは、日綿實業、岩井産業、日商、それと三和銀行をはじめとした5つの銀行を加えた8つの会社で創業したんです。最初は日綿實業の現職社長が形の上で兼務されまして、初代社長は福井慶三さんでした。でも、みんなライバル商社でしたから、ケンカでもしたら大変だということで、真ん中に三和銀行が入りました。3商社と三和銀行から、部長クラス1人、課長クラス1人、社員1人の3人ずつ集めて、3×4で12人です。まとめ役に三和銀行の役員だった乾恒雄さん(故人)が来られて副社長に就任され、合計13人。乾さんが実質的な創業者です。

河合:その13名の中で一番若いって、役職もいちばん下ですよね。はっきり言ってペーペーですよね。

宮内:そうなんです。僕が一番下です。一番下で、なおかつ先生でした(笑)。

河合:日本一の専門家といえども、その中でやりづらいというか、それこそジジイの壁を感じたことはなかったんですか。

宮内:いや、それは毎日ですよ。

河合:毎日(笑)。

宮内:何かというと「そんなもの、日本でできるわけがない」とか言われましたから(笑)。

河合:おお!まさしくジジイの壁(笑)。「前例がない」が口癖の人たちですね。

事あるごとに「そんなことしなくていい」

宮内:毎日、毎日、事あるごとに言われていました。「そんな事業をしなくても、ちゃんと日本にはこれこれこういう制度がある」「余計な制度なのではないか」とか。でもね、私もこの会社(オリエント・リース)で、まさか50年間働くなんて思っていなかったから、何を言われてもへっちゃらで。僕は3カ月習ってきたから、3カ月間この会社でお教えしたら、それで自分の役目はおしまいだ、と、のんきに思っていたわけです(笑)。

河合:なるほど(笑)。

宮内:そもそも教えるといってもノート2~3冊分の資料しかないんですよ。それを教えたらもうニチメンに帰ればいいんだと思っていました。だから上司に「オリエント・リースへ行ってこい!」と言われた時も、気楽に「はい!」と言って出向しましたし、責任のないぺーぺーで、13人のうちでは一番気楽な立場でしたし。

 ただ、あの頃は僕も若かったから、自分が習ってきたことをその通りやらなければいけないと思ったわけです。ちょっとでも間違ったこと、変だなと思うことを言われたりすると、年上相手でも、あまり遠慮せずに意見をしましたよ。

河合:それも毎日(笑)?

宮内:そう。毎日(笑)。

河合:毎日“ジジイ”たちと戦っていたんですね。

宮内:いや、戦うということでもないんです。日本一の専門家ですから、いろいろ言われても「まだ分かってもらえないのですか」とやり返していました(笑)。