前回はこちら→「ジジイ問題に“大ジジイ”が答える?!」
宮内義彦(みやうち・よしひこ)氏。 オリックス シニア・チェアマン。1960年8月日綿實業株式会社(現 双日株式会社)入社。64年4月オリエント・リース株式会社(現 オリックス株式会社)入社。70年3月取締役、80年12月代表取締役社長・グループCEO 、2000年4月代表取締役会長・グループCEO 、03年6月取締役兼代表執行役会長・グループCEO、14年6月シニア・チェアマン(現任)。著書に『
私の経営論』『
私の中小企業論』(日経BP社)ほか。(写真:大槻 純一、以下同)
河合 薫(以下河合):宮内さんご自身は「僕はエリートじゃないよ」とおっしゃいますが、やっぱりご経歴を拝見すると、アノ時代にアメリカ留学なさって、商社の日綿實業(ニチメン、現・双日)に入られて、それでオリエント・リースの社長さんに若くしてなられて。やはりエリート街道まっしぐらだと思うのですが……。
宮内 義彦 オリックス シニア・チェアマン(以下宮内):まったくそうではないですよ。だって、オリエント・リースはたった13名しかいなかったんですから。「会社がつぶれたら大変だ」と思いながらやってきましたからね。
河合:オリエント・リースの創業(1964年)って、東京オリンピックの年ですよね? やっぱりオリンピックのときにいろいろモノが必要になって、それまで日本で貸すという文化がなかったので「リース」という概念を取り入れた、ってことなんですか?
3カ月の勉強で「日本一の専門家」に
宮内:そんなに難しい話ではないですよ(笑)。当時の日本から見たら、アメリカというのは雲の上の社会だった。それで「何か面白いものはないか」と、日本の企業は一生懸命ウの目タカの目でアメリカを見ていたんです。あの頃はいろいろなものをアメリカから輸入していて、アメリカ発のベンチャービジネスがいっぱいあったんです。オリエント・リースもそのうちの1つです。「これは面白そうだ」と思って持ってきても、「だめだ、残念」と潰れていった企業はたくさんありました。ですから、オリエント・リースもいつ潰れてもおかしくはありませんでした。
河合:ニチメンから選ばれて、オリエント・リース立ち上げに行かれたんですか?
宮内:いやいや、そんなにかっこいいものではありません(笑)。「リース会社を作るから、アメリカへ行って勉強してこい」と言われましてね。英語がたまたま少しできたからお鉢が回ってきたんです。
河合:勉強期間は、1年くらいですか?
宮内:それが、3カ月ですよ!
河合:意外と短い…、ですね(笑)。
宮内:わけも分からずにアメリカのリース会社でたった3カ月だけ研修を受けまして、帰ってきたら日本では「リースの日本一の専門家」になっていました(笑)。漫画みたいな話でしょ。
河合:す、すごい……。えっと…、宮内さんが出向したのはいくつのときですか? つまり、日本一のリースの専門家になったときですけど(笑)。
宮内:アッハハ、日本一の専門家になったのはね。確か28歳ぐらいだったかな。
河合:立ち上げメンバー13名の中で、28歳というのは……、
宮内:一番若かったですね。
河合:一番若くて。
宮内:それで、なおかつ大専門家?です(笑)。偉い人を集めて、「こういう商売をするんです」といって、毎日、レクチャーをやっていました。オリエント・リースは、日綿實業、岩井産業、日商、それと三和銀行をはじめとした5つの銀行を加えた8つの会社で創業したんです。最初は日綿實業の現職社長が形の上で兼務されまして、初代社長は福井慶三さんでした。でも、みんなライバル商社でしたから、ケンカでもしたら大変だということで、真ん中に三和銀行が入りました。3商社と三和銀行から、部長クラス1人、課長クラス1人、社員1人の3人ずつ集めて、3×4で12人です。まとめ役に三和銀行の役員だった乾恒雄さん(故人)が来られて副社長に就任され、合計13人。乾さんが実質的な創業者です。
河合:その13名の中で一番若いって、役職もいちばん下ですよね。はっきり言ってペーペーですよね。
宮内:そうなんです。僕が一番下です。一番下で、なおかつ先生でした(笑)。
河合:日本一の専門家といえども、その中でやりづらいというか、それこそジジイの壁を感じたことはなかったんですか。
宮内:いや、それは毎日ですよ。
河合:毎日(笑)。
宮内:何かというと「そんなもの、日本でできるわけがない」とか言われましたから(笑)。
河合:おお!まさしくジジイの壁(笑)。「前例がない」が口癖の人たちですね。
事あるごとに「そんなことしなくていい」
宮内:毎日、毎日、事あるごとに言われていました。「そんな事業をしなくても、ちゃんと日本にはこれこれこういう制度がある」「余計な制度なのではないか」とか。でもね、私もこの会社(オリエント・リース)で、まさか50年間働くなんて思っていなかったから、何を言われてもへっちゃらで。僕は3カ月習ってきたから、3カ月間この会社でお教えしたら、それで自分の役目はおしまいだ、と、のんきに思っていたわけです(笑)。
河合:なるほど(笑)。
宮内:そもそも教えるといってもノート2~3冊分の資料しかないんですよ。それを教えたらもうニチメンに帰ればいいんだと思っていました。だから上司に「オリエント・リースへ行ってこい!」と言われた時も、気楽に「はい!」と言って出向しましたし、責任のないぺーぺーで、13人のうちでは一番気楽な立場でしたし。
ただ、あの頃は僕も若かったから、自分が習ってきたことをその通りやらなければいけないと思ったわけです。ちょっとでも間違ったこと、変だなと思うことを言われたりすると、年上相手でも、あまり遠慮せずに意見をしましたよ。
河合:それも毎日(笑)?
宮内:そう。毎日(笑)。
河合:毎日“ジジイ”たちと戦っていたんですね。
宮内:いや、戦うということでもないんです。日本一の専門家ですから、いろいろ言われても「まだ分かってもらえないのですか」とやり返していました(笑)。
河合:うわー(笑)。今、それをできる若い人たちは滅多にいないし、40代に至っては、そんなことやったら即追い出し部屋の候補リストに入りそうで、ビビってできないですよね。
宮内:ありがたいことに全員出向社員でしょう。誰も指揮権がないんですよ。僕に対する人事権は誰も持っていませんでした(笑)。
河合:それは大きいです。やりたい放題。恐いものなしですね。とはいえ、ご著書の中で、そのときのトップだった乾さんは常に「社員は全員、立派な社会人だと思っている」とおっしゃっていたと書かれていますよね。私、その言葉にものすごく感動してしまったんです。この一言の中には、いろいろな意味が込められているなって。
宮内:ええ。乾さんという方は実に素晴らしい方で、オリエント・リースが成功したのも乾さんがトップだったからです。僕は乾さんの言葉を聞く度に「おかしなことはできない」と思いましたし、より真剣に仕事に取り組むようになりました。
河合:乾さんは、宮内さんが先生役でやっているときに、壁になることはなかったんですか?
宮内:乾さんは、当時、三和銀行の取締役・ニューヨーク支店長でした。そしていきなりこの小さな会社の副社長になるという辞令がでて、日本に戻ってくるまでの間に、ニューヨークでリース業を一生懸命勉強してこられたのです。
乾さんが帰国され、一番最後に会社に合流された際に「私たちがこれからやるリース業はこういうものだ」と話をなさったわけです。
河合:はい。
宮内:それが、どう伺ってもレンタル業の話だったんです。黙って聞いていたらいいのに、僕は「私たちがやることはそれと違います」と言っちゃいました(笑)。
河合:うわぁわわああああ~~~。そ、それ、会社でいちばん偉い人を、いちばんのぺーぺーが木っ端みじんにしちゃったってことですよね。
宮内:はい。あの方は銀行出身ですから、「若い部下にそんなことを言われたのは生まれて初めてだ」と後々、笑いながらよくおっしゃっていました(笑)。
河合:(笑)。
どんな性格の人でも「大切にする」と伝える
宮内:こっちは若いし、使命感みたいなものを持っているし、別の機会に話せばよいものを、目の色を変えて言ったんでしょうね。「それは違います!」と(笑)。
河合:乾さんはそれでも「立派な社会人」として宮内さんに敬意を示してくださったんですね、きっと。
宮内:心中ではきっと、「えらいヤツがいるもんだなあ」とぼやかれたと思いますよ。当時、乾さんは50代。僕とは25歳の年齢差がありましたから。生意気なことばかり言っていました。それでも、きちんと部下として育てて下さった。相手がどんな性格の社員であれ、正しい行いをしているのであれば、人として重んじて大切にする。これは、経営の本質なんですよね。
河合:「あなたは大切な人です」というメッセージを会社が送ることが、そこで働く人のたくましさを引き出し、生産性を高めますよね。私、実は拙著の中で、このことを書いていたんです。それで宮内さんのご著書を拝見したら、全く同じことが書いてあって、驚いたというか、うれしいというか…メチャクチャうれしかったです。
宮内:企業は、まず人を中心に考えないといけないし、社員一人ひとりが「この会社で大切にされている」と感じる何かを、経営者が発信しなくてはいけません。
河合:ということは、3カ月で退散する予定だった会社に、宮内さんが居座って社長にまでなってしまったのは、やはり乾さんとの出会いが大きかったということでしょうか。
宮内:そう、それは大きいですね。乾さんが会社を引っ張って走り出すと、仕事が次々と生まれてきて、先生業ばかりもやっていられなくなりました。商売をするためには、顧客に「そもそもリースとは」と説明をしなければいけない。毎日毎日1日に何回も「私たちがやるオリエント・リースのリースとはこういう取引で、御社にはこれこれのメリットがあります」と小さなミーティングを開いていました。気がついたら、誰のものでもない、他ならぬ自分の仕事になっていたんですよ。
河合:仕事が面白くなっていった?
宮内:というよりも、自分自身「これは、この会社にもう少しいなければいけないな」と思うようになり、ずるずると居続けることになったんです。
河合:私の専門分野では、そういう感覚を「有意味感」という言葉で表すんです。自分がやっていることには意味がある、自分の存在には意味がある、と思える感覚です。
宮内:なるほど、そういう言葉があるのですか。僕は、「自分が必要ないと思われている」なんて感じたことは、ここ数十年間一度もありませんでした。…ああ、ただ、思い起こしますと、学生時代に米国へ留学して、帰ってきて商社へ入ったときに、その有意味感というものを失ったことがありました。
河合:というのは?
宮内:ニチメンに入社した僕が一番最初に配属されたのは、調査部というところでした。調査部というのは、学校みたいなところです。会社の統計だなどといって、話だけは大きいのです(笑)。それはそれで学生時代の続きみたいで退屈ではありませんでしたけど、その次に行ったのが企画の担当の下請けみたいな部署だった。自分の考えていた商社の仕事とは、まるで違いました。
河合:海外で物を売ってくると思っていたんですよね。
宮内:その通りです。海外で英語を喋りながら仕事をしたいと思っていたのに、実際はまったく違いました。後から考えれば「アメリカまで行ってきたんだから、しっかり育てよう」と配属先を決めてくれたのだと思いますが、若い時はそんなことは分かりませんから。もう、これは違うなと。それで辞めてやろうと思ったんです(笑)。
河合:それは入社して何年目ぐらいですか。
宮内:まだ2年もたっていないころです。これはたまらないなと(笑)。
河合:それでどうされたんですか?
おやじの話はけっこう正しい
宮内:社会に出て2年で、やはり、まだ子供ですから、父親に相談したんです。おやじと酒を飲みながら「会社を辞めたいと思う」と。おやじは当然、理由を聞きます。そこで、かくかくしかじかこんなことでと、配属先のことを話したら、父親に言われました。
「辞めるのは一向に構わないと思うけれども、石の上にも3年という言葉がある。3年はやってみなさい」と。
父親の言うことだから聞くかと思い、それで辞めるのをやめた記憶があります。
河合:なるほど…。
宮内:そうしたところ、ちょうど、本当に3年を過ぎた頃に、オリエント・リースの話が出てきましたから。後で思うと、おやじというのはなかなかいいことを言うなと(笑)。
河合:僭越ながら私もCA(客室乗務員)を辞めようかなって思った時に、「石の上にも3年っていうからとりあえずやらなきゃ」って。そうしないと元スッチーですって、言えないなぁって思って4年間やりました(笑)。
宮内:3年あればいろいろな経験もできるし、自分も周りも変わりますからね。
河合:学生に講義するときも、「石の上にも3年だから、アレコレ考えずに目の前のことをひたすらやりなさい」と言っています。そうすると学生が「そんなこと初めて聞いた。誰も言ってくれなかった。『とにかく自分に合う仕事を選びなさい』って言われてきた」って。
宮内:今の就職指導は、基本的に大間違いをしていると思っています。
河合:キャリア教育という名のもと、学生に自己分析と他己分析とかやらせるんですけど、そもそも、それまでの人生が20年、しかもそのうち半分ぐらい記憶がないのに、分析したってほとんど意味ないです。まして、それを根拠に自分の能力に合った企業を選ぼうとか、好きな仕事を見つけようとか。だいたい世の中に、好きな仕事を新人にやらせてくれる企業なんてないのに。
宮内:学生もそのような話をちゃんと理解するでしょう?
河合:はい。学生は学生なりに、「石の上にも3年」というのをサークル活動やバイトにあてはめて考えるみたいです。ただ、最近の学生は限界を超えるまで無理し過ぎちゃう側面もあるので、「どうしても無理だと思ったら辞めなさい、逃げなさい」って話してます。
「勉強させていただきます」は禁句
宮内:今の就職指導はまったく分かっていないなと思っています。大学がブランド取りの場所になっているのです。さらに、就職もブランド取りだと思っている。必死に就職活動をして、やっとぶら下がれる一番いいブランドの会社へ入るわけでしょう。
河合:はい。
宮内:それが悲劇なんです。無理矢理背伸びして名だたるブランド企業に入ったと喜んでも、ブランドにすがろうと無理して入ったために、その後が大変になってしまいます。本当に、何を考えているのかと。就職は何より、自分が歓迎され、求められているところに行くべきです。もしも5社が歓迎してくれるとしたら、その中の一番見込みのありそうなところを選ぶことが、僕は就職だと思います。そこが一番力を発揮できるわけです。ブランドだけにぶら下がっていたら、一生うだつが上がらないんです。
河合:あ、あの、こんな言い方をすると失礼ですけど、オリックスに入ってくる新入社員の方たちも、オリックスというブランドに魅せられている面があるんじゃ……。
宮内:今や学生さんからそういう企業として見られてしまってはいますね。「オリックスという立派な会社に入れていただいてありがとうございます。ここで一生懸命勉強させていただきます」と言われると、…もう、本当にがっかりです。
(次回は社員教育について……)
『他人をバカにしたがる男たち』
なんとおかげさまで五刷出来!あれよあれよの3万部! ジワジワ話題の「ジジイの壁」
『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)
《大人の必読書(Citrus)》石原壮一郎氏
多くのおっさんはなぜ、困ったジジイになってしまうのか。繰り返し出てくるキーワードは「SOC=Sense Of Coherence」。まだ間に合います。本書を熟読して、少しでもちゃんとしたおっさんを目指しましょう。
リアルだけでなくSNS上でも、タチの悪い「ジジイ」たちが今日も大暴れ。ネットは「ジジイの見本市」。たくさんの反面教師がいて、たくさんの他山の石がころがっています。
本書を読むことで、SNSで見かける「ジジイ」を興味深く観察できるようになったり、不愉快な「ジジイ」のリアクションをスルーできるようになったりという副次的な効能もあるかも。もちろん、眉をひそめられる「ジジイ」にならないために、自分の振る舞いを省みる上でも大いに役に立ちます。
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