前回はこちら→「ジジイ問題に“大ジジイ”が答える?!」
河合 薫(以下河合):宮内さんご自身は「僕はエリートじゃないよ」とおっしゃいますが、やっぱりご経歴を拝見すると、アノ時代にアメリカ留学なさって、商社の日綿實業(ニチメン、現・双日)に入られて、それでオリエント・リースの社長さんに若くしてなられて。やはりエリート街道まっしぐらだと思うのですが……。
宮内 義彦 オリックス シニア・チェアマン(以下宮内):まったくそうではないですよ。だって、オリエント・リースはたった13名しかいなかったんですから。「会社がつぶれたら大変だ」と思いながらやってきましたからね。
河合:オリエント・リースの創業(1964年)って、東京オリンピックの年ですよね? やっぱりオリンピックのときにいろいろモノが必要になって、それまで日本で貸すという文化がなかったので「リース」という概念を取り入れた、ってことなんですか?
3カ月の勉強で「日本一の専門家」に
宮内:そんなに難しい話ではないですよ(笑)。当時の日本から見たら、アメリカというのは雲の上の社会だった。それで「何か面白いものはないか」と、日本の企業は一生懸命ウの目タカの目でアメリカを見ていたんです。あの頃はいろいろなものをアメリカから輸入していて、アメリカ発のベンチャービジネスがいっぱいあったんです。オリエント・リースもそのうちの1つです。「これは面白そうだ」と思って持ってきても、「だめだ、残念」と潰れていった企業はたくさんありました。ですから、オリエント・リースもいつ潰れてもおかしくはありませんでした。
河合:ニチメンから選ばれて、オリエント・リース立ち上げに行かれたんですか?
宮内:いやいや、そんなにかっこいいものではありません(笑)。「リース会社を作るから、アメリカへ行って勉強してこい」と言われましてね。英語がたまたま少しできたからお鉢が回ってきたんです。
河合:勉強期間は、1年くらいですか?
宮内:それが、3カ月ですよ!
河合:意外と短い…、ですね(笑)。
宮内:わけも分からずにアメリカのリース会社でたった3カ月だけ研修を受けまして、帰ってきたら日本では「リースの日本一の専門家」になっていました(笑)。漫画みたいな話でしょ。
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