何度目かの入院から戻っておそるおそる出社した時、職場のホワイトボードに、

 【田中 入院中 そっとしておいてやろう 必ず戻ってくるから】

 と上司が書いてくれてあったのを消しながら、

 【田中 本日より元気に出社】

 とマジックで大きく書いた時は涙が止まらなかった。


(※田中様からは快く引用をご許諾いただきました。ありがとうございます。なお、行間隔はオリジナルと異なります)

 なぜ、「そっとしておいてやろう。必ず戻ってくるから」なのか?

 自分たちの仲間が肉体を酷使し、心身が限界を超え、“大切”で“大好き”な仕事が出来ない状態になっているなら、「そんな働き方はおかしい」と声をあげられないのか?

 「金曜の夜にクライアントからNGが出て、月曜日にプレゼンだ? それは断っていい。いや、断るべきだ」と、なぜ、現場から声をあげられない?

 当然ながら、それを「そんな仕事は請けなくていい」と徹底しないトップの責任であり、先日の最終意見陳述で山本社長が「『仕事に時間をかけることがサービス品質の向上につながる』という思い込みがあった」と述べたように、そういった組織風土に問題があったわけだが、…どうにも納得できない。

 だって、知的な発想を要する仕事についている人たちほど「業務の成果を時間ではなく結果で評価してほしい」とホワイトカラーエグゼンプション、すなわち裁量労働制を訴える。

 時間じゃないという人たちが、時間をかけることを美徳とする。このダブルバインドもまた、“悲劇”があとを絶たないことにつながっているように思えてならないのである。

 だからこそ、あくまでも私の個人的な気持ちだが、田中さんに「ドロップアウトした人間だ」とは言って欲しくなかった。

 仕事で心身を蝕み、入院を4回するなんておかしい。体を休めること、仕事を離れること、そして、仕事以外の環境に身を置くことが、豊かな発想をもたらし、結果的にいい仕事につながる。と言って欲しかった。

「いい仕事をしたい」から無理をすると高揚感につながる

 でも、それは外部の人間の感覚であり、無理なことを言っているというのも実は分かる。
 現場にいれば、目の前の仕事に集中するのが当然だ。

 「いい仕事をしたい」
 「会社に貢献したい」
 「お客さんを喜ばせたい」

 という気持ちが高い人ほど、「いい仕事をするためには、私的な時間を犠牲にしてもやむをえない」と、過剰に自分を追い込んでいく。

 仕事の要求とプレッシャーが高まることで、社会に認められたいという承認欲求に加え「人に迷惑をかけたくない」という意識が、“働き過ぎ”を拡大する。

 働き過ぎに人を向けるのは、いわゆる「高揚感」。高揚感こそが、自らを追いつめ、周りの人たちをも追いつめる。

 身も心も疲れ果ててボロボロになっているのに、あたかも、そのぼろぼろになっていること自体が「すごいこと」「できる人」の証明のように思えるのだ。

 だからこそ、ご自身や上司、同僚の方との、涙が止まらなかった思い出とは別のお話として、「これはおかしい」と、その環境を“卒業”した人に言って欲しかった。やってきたことを否定するようなことを言え、というのは、我ながら何様だろうと思うのだけれど……。

 本来「体を休める」時間に、「体を酷使する」ことがいかに危険かを最後に紹介する。

 今年のノーベル生理学・医学賞を受賞した、米ブランダイス大学名誉教授のJ.ホール博士と同大学のM.ロスバッシュ博士、ロックフェラー大学のM.ヤング博士。
 博士らの功績は、「体内時計(概日リズム)を生み出す遺伝子とそのメカニズムの発見」だ。

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