スルガ銀行では、故岡野副社長の「頑張った行員は細大漏らさず褒めてあげたい」との思いから、年々表彰項目が増えていったそうだ。

表彰制度が「悪」を正当化する装置に

 報告書の別紙に表彰制度項目が並んでいるのだが、A4に5ページ分。店舗や個人を対象に、膨大な項目が並んでいる。

 本来、こういった表彰制度は従業員の士気を高め、組織風土をプラスに作用させるリソースである。

 しかしながら、エゴイストが権力をもった組織では「悪」を正当化する装置と化した。

 表彰されたものたちは、
 「おかげさまで首都園トップ店となりました」
 「岡野会長から特別に食事に連れていってもらった。普通ではありえないこと」
 などと、嬉しそうに周囲に吹聴していたのである。

 上からのお墨付きを得れば、悪は善と化す。

 いかなる手段であれ、ノルマを達成すれば万事オッケー。パワハラと不正でノルマを達成した人が表彰され、昇進すれば、ますますパワハラは加速する。

 「数字至上主義・パワハラ・表彰」の3点セットが、劣悪な組織風土の土台になっていたのだ。

……なんとも恐ろしいことだ。

 度々発生しているスポーツ界におけるパワハラでは、自身のスキル向上や勝負に勝つというポジティブな経験が、パワハラを肯定的に捉える傾向を高めることが国内外の調査研究から明かされているが、それと全く同じだ。

 「あのとき厳しく言ってくれたのは自分のためだった」
 「あのとき怒られたことで踏ん張ることができた」
 と、コーチや監督の恫喝や暴行を自ら肯定し、
 「パワハラに耐えられなかった人は弱い人」となる。

 パワハラに耐える力と結果を出す力は同義ではないのに、結果を出すためにはパワハラが必要と錯覚するのだ。

 しかも、人間には「承認欲求」があるため、パワハラに苦しんでいる最中でもそれを正当化させてしまう場合がある。

 これまで私のインタビューに協力してくれた方の中には、上司からパワハラを受けていた人が何人もいた。そして、多くの人たちが「パワハラを受けているうちに、“自分が悪いのでは?”という気持ちに苛まれた」と心情を明かしてくれたのだ。

 念のため断っておくが、「頑張った行員は細大漏らさず褒めてあげたい」というトップの思い自体は悪いものではない。

 が、今回の報告書が明かした「表彰制度」の負の側面は、極めて貴重である。

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